ICC「ミッション002:メディアを探索せよ!Make|Future|Possible」に行ってきた

ICCトークイベント、2日目のスピーカーは佐藤卓、福原志保、アニリール・セルカン。http://www.ntticc.or.jp/Archive/2007/ExploringMedia/talk1216_j.html

会場全面の大きなスクリーンに自身が手がけた作品を出しながら、佐藤氏は言った。

ただ売るためのデザインにはしたくなかった。

彼はロッテのチューインガムパッケージや「おいしい牛乳」といった、日常的に接する商品デザインをする人。商品に関するデザインを引き受けるときは、できるかぎり製品の製造工程を見せてもらうと語る。その姿から、対象物にのめりこむ丁寧な仕事ぶりが伝わってくる。
チューインガムのパッケージでは、ペンギンを立体化してオブジェにしたり、時代が変化すると新しいペンギンが登場したり。東京千鳥屋の「チロリアン」というお菓子パッケージでは、こっそりと遊びが紛れ込まされていたり*1

彼の手がける商品デザインは、見紛うことなく「売る」ためのものだけど、それだけで終わらせない、そこから何かが発生する余地を創りだしている。自分のミッションをこなすだけで満足せずに、一工夫を加える。そこにオリジナリティが表れるのだろう。求められた条件を満たすだけなら、よほどの専門職でなければ誰でもできる。いや、専門職であっても、訓練すれば、誰でもできるかもしれない。そこにオリジナリティを加えること、つまり、要らぬ手間をかけずに、自分らしい一手間を加えることが出来たなら、一歩先に進める・・・のかもしれないと、彼を見ていて考えた。

私の作品って、美術館にあってもあまり映えないんですよね。

福原氏は、作品の背後で考えていることとして、NatureとPolycultureを対比させながら、後者を「壊すのはたやすく、作り出すのは至難。だが、自身はこちらを目指している」とコメント。科学者とアーチスト、一般の人の間にはどうしてもギャップがあるが、「一般の人と科学を(アートで?)つなぐ存在」になりたいと述べていた。つなぐ存在はそこらじゅうで必要とされているけれど、その役目をまっとうできる人は少ないみたい。
作品紹介として、横浜の海水を試験管に詰めたり、青いカーネーションを自家培養したりと、一風変わった作品群と、それらの製造過程を画面に映し出していた。課程と作品両方を見るための場がもっとあればよいのに、と思わされるスライドショーだった。

地球上のたかだか一生物である人間が、地球を壊すことはできません。

日本人が環境問題に関心を抱いているのはよいけれど、偽科学に騙されることには気をつけなきゃいけない。ツバルが沈んでいる、地球温暖化のせいだ、というけれど、地球温暖化の前に、地球にはバイオリズムがある。地球温暖化の影響で海面が上がっている証拠というのは存在しない。あったら教えて欲しい。・・・とのこと。

アニリール・セルカン氏、本を読むたびにおもしろい人だなあと思っていたけど、実物もやはり素晴らしくおもしろかった。頭の回転が速いとか、研究内容が興味深いとか、そういうところだけじゃなく。重めな話をしていも「環境問題の映画で僕の一番のオススメは「ゴジラvsヘトラ」」と、周りを和ませたり(でも本当にオススメらしい)、「戦争では植物と水が大事」と話し始めたのに、ゲイ爆弾(wikipediaの「オカマ爆弾」参照・笑)の説明で笑いをとったり。イベント終了後に子供たちと一緒にいるときの横顔がとてもかわいらしかったのも印象深い。

子どものアイデアをもらうのが、僕の秘訣なんですよ。

と、言っていたのは本当なんだろう。

科学者には2タイプいる。1つは「1日24時間じゃ足りない!」と、ずっと科学のことをやっているタイプ。ずーっと科学のことをして、30年くらいしてえらくなってから、自分のやってきたこと・功績を外に出していく。でも、僕はそれじゃもったいないと思う。それじゃあ、(発表する時点から見て)30年前のことを発表することになっちゃう。

会場では、そのために科学者とアーチスト、デザイナーのコミュニケーションが大事だよねという話になって、イベント終了。


コミュニケーションの話になると、大学時代に友人が言っていたことを思い出す。ある程度優秀な人ならば、いろいろなことは「ひとりでやるほうが楽」。コミュニケーションするにはエネルギーが要る。ひとりひとりに専門領域がないと、ただの烏合の衆になるだけ。コミュニケーション!ってえらそうに言っても、身の回りの人とコミュニケーションがとれなくちゃ、意味はない。

*1:パッケージに描かれた5人の西洋人の口元をよーく見てください。と、画面を拡大すると、口のかたちが「チ」「ロ」「リ」「ア」「ン」。