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迷走気味

友人と電話で話す。仕事の話もする。かねてからの彼女の懸念事項、転職話もする。「kanyはなんで前の会社を辞めたの?」と聞かれて、考えたこと。「なんで」の答えではない。

数年前の新卒就職活動中、中堅電機メーカーの海外営業職を選ぼうか、悩んだ時期がある。1週間ほどのインターンを経て内定を貰ったものの、第一希望の職種じゃなかった。それでも、社風はとても好きな会社だったし、海外営業という仕事に興味がないわけじゃなかった。
新卒のときのキーワードは、ITと英語。英語はどこに行っても使うけれど、ITの知識は触れようとしなければ学べない。そんなことを考えたり、いろいろな人に助言を貰ったりして、結局その内定を辞退して、私は大手電機メーカーのSE職に就いた。もしあの会社の海外営業職についていたら、2000人規模の会社で、悩んだり愚痴ったりしながら、英語を使って、専門知識をつけて、結構楽しくやっていたかもしれない。そして、今の会社には転職していなかっただろう。

今の仕事も会社も好きだから、結果的にいえば、海外営業の仕事を選ばなくて良かったということになる。でも、自分が選んだ選択肢・・・SEになって、転職して、今の仕事に就いてということ・・・自体が良いことか、悪いことかと考えを巡らせると、よくわからない。今とは違う人生を送っていた自分を夢想して、その無益さに辟易して、この思考を止めるためにこの文章を書いている。

選択肢が多いのは良いことだと、人は言う。それが自由だと、私は思う。
自由だと、人は、迷う。適当に答えを出して何か困ったことになったとき、自分が出した答えだと他人を責められない。だから、責任を感じる。
自由だと、人は、「たら」「れば」を考える。過去のことを思い返しても、何も生み出さないのに、振り返ってしまう。意味のない思考。

自由は良いものだというけれど、果てしもなく自由なのが良いのかといえば、そうでもない。自分以外の何者かに、何かを規定してもらえたほうが楽。だけど、私は神も仏も悪魔も信じられない。論理的な正しさすらも、絶対的な善ではないと思う。こんなことを言ってしまったら、数学教からも破門されてしまうだろうか。