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好きを貫く

サバイブするためではなく、後悔しないために、私は好きなことをする。

高校生の時、ちょっと政治的な問題の関係者になった。法律的に考えて、論理的に考えて、何も間違ったことはしてないのに、マスコミに悪いことをしてるみたいに書かれたり、政治団体が学校に入ってきてあーだこーだ言われたり。まあ色々と、いやな気分になる出来事があった。

そのおかげで、普通の生活をしてたら接さなかった人と話す機会ができた。同じ学校の先輩後輩はもちろん、先生やPTAの人、マスコミ関係者、弁護士、県や教育委員のお偉いさん、えとせとら。

そのとき、15歳のときにわかったことが、ひとつある。大人でも・・・たとえ弁護士でも、県のお偉いさんでも、文部大臣でも・・・、絶対的な正解はわからない。善悪は、もっとわからない。法律に照らし合わせて論理的に正しいことを言ったり、前例や慣習に基づいて「こうあるべきです」と言う人はいても、じゃあ、どうすればいいの? 何を信じればいいの? どれが正解なの? ・・・みたいな問いに答えてくれる人はいない。

正しく言うと、「これが正解だよ」と断言する人は、疑ったほうがいい。

利用されているだけかもしれない。よいネタにされるだけかもしれない。言質を取られて、後で責められるかもしれない。疑って疑って疑って、いろいろな方向から検証して、それでも信じてよさそうだったら・・・、ううん、自分自身が信じたいと思うのだったら、それが「正解」。

論理的にいくら正しくても、慣習的にいくら正常でも、どんなに大きな声で怒鳴られても、自分が信じたいと思えないのだったら、信じないほうがいい。やりたいと思わないのだったら、やらないほうがいい。だって、それが引き金でいやな結果になったら、「ああしなければよかった」と、後悔するから。

だから私は、自分が好きな人を信じる。自分が信じたい人を信じる。それで間違っていたら、自分の見る目がなかっただけだから。

これと同じ考え方で、私は好きなものを信じる。好きなことをする。疑って疑って疑って、それでも自分が好きなものを選ぶ。自分が好きなことをする。うまくいかなかったら、自分が至らなかっただけだから。

・・・なーんて。思い出を入り口にあれこれ考えていたら、いつのまにやら梅田さんの「好きを貫く」フレーズに自分が共鳴する理由に繋がっていた。10年前のことを思い出すなんて、年かしら?