エルデシュの本を読んだ

数学者の話を読むと、幸せってなんだろう?ということを考える。好きなことだけを追い求めて、他のものを捨てるくらい没頭して、その果てに発狂したり、死んでから数十年経ってから認められたり。そんな彼らの姿を描くノンフィクションは、まさに「現実は小説よりも奇なり」の世界。この本の主人公ポール・エルデシュ(Paul Erdös)も、まるで物語の中から飛び出てきたような人物だ。

エルデシュは数学のために最大限の時間を割けるよう生活を作りあげていた。かれを縛る妻も子どもも、職務も、趣味も、家さえ持たなかった。粗末なスーツケースひとつと、ブダペストにある大型百貨店セントラム・アルハズの、くすんだオレンジ色のビニール袋ひとつで暮らしをまかなっていた。エルデシュは四大陸を驚異的なペースで飛び交い、大学や研究センターを次々と移動して回った。知り合いの数学者の家の戸口に忽然と現れ、「わしの頭は営業中だ」と宣言する。そして一日か二日、かれが退屈するか、かれを泊めてくれている数学者が疲れきってしまうかするまでいっしょに問題を解く。それから次の数学者の家へ移るという具合だった。

放浪の天才数学者エルデシュ放浪の天才数学者エルデシュ
Paul Hoffman 平石 律子

草思社 2000-03
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内容、そして翻訳もさることながら、本のカバーも秀逸。ぼろぼろのスーツケースと数学を携えて、世界を渡り歩くエルデシュの姿が描かれている。彼が履いている靴の紐は、ほどけている。これが、心憎い演出。エルデシュは、自分で靴紐を結ぶことができなかったのだ。なぜかというと、母親がいつも結んでくれていたから。エルデシュ自身は家事も掃除もろくに出来ず、母親や、行く先々で泊めて貰う数学者に手間をかけさせてばかりいた、言ってしまえば、生活力のない人物だった。しかし、数学については天才的な洞察力と問題提起力を持ち、83年の生涯で1475本の論文を書いた。そして、そのうちの約3分の2は共著論文だった。彼は優れた数学者を探し、適切な問題を与える天才でもあったのだ。

彼は1996年にこの世を去っている。この人と私自身が、同じ時間にこの世界を生きていたという事実が驚きだ。もっと早く、この奇妙奇天烈な天才のことを知りたかった。何ができるわけではないけれど、近くに行って、その存在を感じたかった。
ポール・エルデシュ - Wikipedia
Paul Erdős - Wikipedia, the free encyclopedia

翻って、私が数学者やgeekと呼ばれる人のことを好きなのは、自分にない才能を持っているから。好きなことに我が身が二の次になるほど没頭して、宝石みたいに美しいものを見つけ出したり、創り出したり。そういう人たちの存在が好きだから、私は数学者やgeek…もう少し拡張して言うならば、scientistやengineerの人たち…に対して、憧れと敬意を抱いている。
エルデシュはもうこの世界に居ない。けれど、今もきっと、新たな天才は生まれている。いつか、そういう人に出会って「なんだあの変なやつは!」と圧倒されてみたい。願わくば、彼/彼女に対して、何か良い影響を与え合うことができる存在でありたい。そう思う。