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「研究者のお手伝い」をし続けるために(考えごと)

すっかり放置してしまいましたが、シンガポールに移動しました。
今の仕事は、前と同じ学術出版職ですが、前とちょっと立ち位置が違います。細かいことはここでは触れませんが、ちょっと見る角度が変わって、色々考えました。今日はその記録。

私は研究者や科学者や変な人が好きで、学術出版の世界が気に入っています。前の職場もそういう人が多めでした。ところ変わって、今の職場には科学や研究の世界に興味が薄い人も多く働いています。「好き」ではなくても働ける仕事として整備され、産業として成り立っていることを実感します。
またビジネスとしてまわるように仕組みが作り上げられていることを、私は前職のおかげで知っています。この産業がいつまで持続くのかは懐疑論もありますが、持続できるように頭をひねっている人は各所にたくさんいますから、今しばらくはたぶん続くのでしょう。

  • ラディカルな言い方をしてしまうと、研究者が真実の探求をするだけなら、出版の仕組みそのものはなくてもいい(かもしれない)。といっても存在価値がないわけではないが、PCで完成度の高い原稿を作ってインターネットで発表できる今の時代、物流としての出版社の価値は薄らいでいるのは事実。ただし情報洪水の中で情報のフォーマットを整えたり、出版日のタイムキープや品質のレベルキープをしたり、玉石混淆の中から玉を拾い出して目立たせたり、という役割はある。(また業績評価としての側面も無視できないが、ここらへんは個人的には20年くらいでそうとう変わってくるのでは?とも思う。)
  • 研究者が「自分の著作権はどうなってるの?守ってくれるの?」と質問をしても、出版社としては「当社で出している間は責任を持ちますが、それ以外は弁護士に相談してください」と言わざるをえない。そして出版社も自らが著作権絡みの問題に相対するときは、弁護士に相談する。つまり、権利についてだけなら弁護士が居れば話は済む(かもしれない)。ただし著作権や特定業界に詳しい弁護士を見つけるのが難しいという問題はあり、そこで出版社ネットワークが活かせているという側面はある。
  • 出版物の組版や校正や電子版フォーマット統一をしているのは、最近ではほとんどインドやフィリピンの、英語ネイティブで労働コストが安い国の会社。非ネイティブでは言語面は太刀打ち出来ないし、先進国でインドと同コストを提供するのは不可能。今回直接会って、話して、学ぶ機会があって痛感した。彼らは優秀だ。

今の私は、色々な国の人とともに働くという願望が叶えられたことに感謝して、自分ができることに最善を尽くすしかありません。
これからの私は、右を見て左を見て、自分の手の届く世界にあるものを探求して、明日の自分が価値を加えられる/加えたいと思う領域を考え続けましょう。

追記

ブクマコメント有り難うございます。ちょっと気になったので追記させていただきます。

木曜日に届いた論文proofを2日以内に直せというメール.出張が重なり、アメリカなら週末と時差を考えて日本時間の午前中に返せば良いとタカをくくっていたら日曜早朝に催促メール.これもアジアで編集しているのかも

アジアでやっていることもあるのか...自分のときはてっきりアメリカ時間でかんがえていた.

内容の「編集」及び管理は、アメリカでしている雑誌も多いかと思いますが、テクニカルな意味での編集(出版社では「制作」と呼ぶことが多い)作業はアジアで行うことが多いです。id:roadman2005さん、id:katsumushiさんともにライフサイエンスを専門になさっていて、英語論文を想定のことと思いますので、特にその傾向が強いと思われます。

ただし制作のオフショア化自体は論文出版だけの話だけではなく、日本語(国語)の教科書を作っている出版社さんでもテクニカルな意味での編集(制作)は中国で行っている、という話も聞いたことがあります。

もちろん各社ともにどの部分は集約化できて、どの部分は各国に分散しておかねばならないか、頭をひねっている部分であります。またこれが良いことなのか悪いことなのか?は議論がとっても分かれるところです。