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[book]「ケヴィン・ケリー著作選集 1」を読んでいる その2

引き続き読んでる。 ケヴィン・ケリー著作選集 1 - 達人出版会

The Rise and Fall of the Copy

「コピーの盛衰」: 七左衛門のメモ帳

あるものが無料になり、どこにでもあるようになったとたんに、その価値は逆転する。夜間の電灯が珍しい時代には、ふつうのろうそくで明かりをとるのは貧しい人たちであった。ところが電気がどこでもあってほとんど無料になると、電球は安っぽく感じられ、ろうそくはディナーの席で豪華さを示すものになった。

コピーの飽和状態として、文章中に出ていた具体例は音楽だった。文章中では触れていないけど、↑の「ろうそく」に当たるのは生演奏だろう。

  • 生演奏-録音-ウォークマン-iPod
    • 音楽データは氾濫している。でも生演奏は消えないし、今でもそこにお金を払う人はたくさんいる。良いホールで聞く上質のオーケストラは今でも豪華なものだ。

他にもいろいろ具体例を考えてみた。

  • 手書き-活版印刷の本-インクジェットプリントの印刷物-PDFデータ
  • 研究者間の手紙-ジャーナル-電子ジャーナル-Discovery service/DB上のデータ
  • 野生動物-動物園-ペット-たまごっち
    • 野生動物を見に行くツアーは今も人気。
  • 手書きの聖書-活版印刷の聖書-一般的な印刷の聖書-PDF/webページ-モバイルアプリ
    • 牧師を交えたり、信者同士で行う教会での読書会は今でも代え難い存在。
  • 実験データ-手書きメモ-出版社を通した印刷出版-パソコン通信でのデータ交換-メールでのデータ交換-リポジトリでの公開
    • 今も研究者自身によるセミナー・発表@カンファレンスetcは重要な情報交換場所。


「物質からの贈りもの」: 七左衛門のメモ帳の次の文章にも繋がってくる。

これらの(技術によってもたらされる選択の機会)の可能性は、まわりに何もない状態でそれ単独では、人間の幸福のためには不十分である。ましてや向上などありえない。選択はそれに対する案内があってはじめて良い価値を発揮する。

技術によってコピーが簡単になった。コピーが氾濫した。色々なバージョンが生まれた。そこであっちがいいこっちがいいという論争をするのではなく、コピーを使ってオリジナルのときに感じられたのと同じ(またはそれ以上の)充足感を得る方法を案内する存在が必要になってくる。またはそういう案内人の必要性はなくならない。つまり牧師の存在価値はなくならない。今までと同じやりかただけではなく、モバイルアプリ聖書を使って説教する方法を考えなければならないかもしれない。大変かもしれない。しかし面白いことかもしれない。

価値のない選択は得るところが少ない。それは確かだ。しかし選択のない価値は同様に面白味がない。