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初めてのスターウォーズ(+夏目漱石「坊ちゃん」「三四郎」)

movie book

公共図書館でスターウォーズのDVDを借りて観た。ディスクが汚れていたため画面が止まったりスキップしたりとコンディションは良くなかったけど、いちおう最後まで鑑賞できた。

  • 作っている最中には観客の反応は想像できなかったろうな
  • どんなにuncertainなことでも、やるときは堂々とやったほうがかっこいい

まったく別方面で、夏目漱石をまたぼちぼち読んでいる。先週末は「坊ちゃん」を読んだ。
どこの世も人間関係というのは面倒なものだな、東京に帰った後は何事もないように書かれているのはなぜかな等、プレーンな感想はさておき、私小説はどこまでも「私」視点、ある意味でミクロな視点だということに改めて気が付いた。

映画はマクロ視点というか「どう見えるか」を意識している。徹頭徹尾。まあ映像美術なのだからどう見えるかが全てなのだが、小説、とりわけ日本の私小説はひたすら「私」語りをする。自分について考えて自分について語り自分に起こった出来事を語りながら行間で読ませる・考えさせる芸術で、自分はそういうアートに触れることのほうが圧倒的に多かった。ともすると「どう見えるか」なんてどうでもいいやと思う傾向にあった。

でも最近は自分も嗜好が変わってきたのか、「私」語りに始終する芸術だけでなく「どう見えるか」を意識した芸術も楽しくなってきた。生きる上でそういうことも大事だよねということにようやく(口だけでなく心から)気がついてきたような気がする。

また見た目を意識すると言えば聞こえは良いが、いっぽうで映画・映像美術は考えさせる間もなく情報を与えられる、ある意味で一方方向な押し付けがましさがある。考え事をしたいときに立ち止まれない。そういう側面が自分はいやだった。それが最近は相互作用のある映像美術に触れる機会が増えてきた。わかりやすくいうとゲーム的に楽しみながら勉強できるウェブアプリ(iKnow!)とか、インタラクティブアート(ICC)とか、それから日々の生活に触れて考えること。

ちょっと見方を変えると日々の現実世界も、外の世界と自分が動的にインタラクティブする世界、押し付けがましい世界だ。それは変えられない。日々の体験が重なったおかげで「どう見えるか」を意識することの面白さ・大切さに思いが至るようになってきたのかも。

原因追及はさておき、最近は映像美術を見るのも楽しい。