数学に魅せられた明治人の生涯 読了

4480429077数学に魅せられた明治人の生涯 (ちくま文庫)
保阪 正康
筑摩書房 2012-02-08

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自分内のキーワードである「数学史」に触れるトピックなので、シンガポールの紀伊国屋で手に取った。とはいえ数学の内容にはそれほど深く踏み込まない、明治時代の数学好きな庶民(中学を出て学校の先生になり、村長も務めたような、当時としてはエリート層の庶民)の視点にたった、歴史のノンフィクション的読み物である。保坂正康の名前は知っていたが、ちゃんと本を読むのは初めて。

以下、本書に出てきて、個人的に気になったトピックや表現をメモしておく。

  • ロバチェフスキー
  • 「私が敵兵を撃ったのであります」"職業軍人"が口をはさんだ。そこには恐怖に怯えて泣いた顔はない。・・・それからのち学介は何度もそういう表情を見る。日本に凱旋してからの無数につくられていった英雄たちの表情がそれであった。挙動が立派に見えても視線は落ち着かないのが、彼らには共通していた。
  • 日清戦争から10年後に日露戦争日清戦争時に青年(20代)だった人々は、日露戦争のころは中年(30代)になって家庭を持ち、昔であれば徴兵されない年齢だった。しかし徴兵令が改正され、兵役年齢が32歳から37歳までひきあげられた。歴史の教科書を眺めているぶんには「10年毎に戦争が起こった」で終わることだが、実際の人間にとって10年というのは人生のフェーズが変わるくらいの時間なのだ・・・とはっとした。
    • 「徴兵令の快晴で全国で新たに徴兵がはじまった。32歳から37歳といえば、妻子を抱え、一家の家系を担っている。その層を徴兵するというのだから、あちこちで悲劇がおこった。その悲劇は新聞には報じられない。国民の士気の低下を恐れたからである。」
  • 主人公が村長を務めた時代に、(当時は危険思想とされた)「自由思想」を、町の広報誌を使って広めようとする青年に向かって。当時の主人公は現実から逃げるように、家に帰ると数学に入れ込んでいた。
    • 「私が譲歩しよう。青年団報は君らの好きなようにやりたまえ。ただし、これからはその都度、注意を与えて行く。それからひとこと付け加えればなにごとも本気でやるならいいが、そうでないならやめてしまったほうがいい。中途半端はなにも生まない。これは私からの忠告だ」
  • 主人公と同じ三重県出身の政治家尾崎行雄を村に読んでスピーチしてもらったときの言葉。
    • 「戦争は何であったか、つまり全然無意味で、無目的の悪戦苦闘にすぎないのだ。船上で死んだ若者こそ気の毒である。彼らはいまや地下で必ずや迷いの夢から醒め、その悔しさに瞑目することもできなかろう。経世家はここから教訓を学び取らなければならない・・・」

ここだけの話(誰もが知っていることかもしれないが)アマチュア数学家には一定割合で「ちょっとおかしなひと」がいる。この本の主人公のように辛い現実・受け入れがたい現実からの逃避として数学に没頭し、その結果として一線を越えてしまったケースも少なくなさそう・・・と想像して、少し切なくなった。