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(2009年に書いた文章)

(第15回The Economist読む隊議事録を書いていたら、話が拡散して雑談になってしまいました。なので、冒頭は議事録と全く同じ+とりとめのない文章です。)

今回はイスラム金融の話。イスラム建築に興味があるため、イスラム教についての本は色々読んだことがある。が、ビジネスの観点で書かれたものはほとんどなかったので新鮮だった。

日本ではイスラム圏の情報に触れることは少ない。「エキゾチックで素敵!」なイメージ優先絵巻物か、「紛争が多くて危険な地域ですよ」という悲観的報道のどちらかが多い。id:yuuki_hiくんがブックマークでつぶやいていたように、冷静な論説を見かけることはあまりない。*1

これだけ日本語情報が溢れかえっているのに、満たされていない情報はたくさんある。アラビア語をマスターすることは難しくても、英語でなら情報を探すことができる。日本語で探してなかった何かも、英語でなら見つかるかもしれない。

さて、ここでちょっと悩むこと。何かしら有用な情報を英語で見つけたとき、日本語に翻訳するべきなのか。メモ書きを残しておくか。ただ読んで頭の中に収めておくか。仕事でも私事でも、読んだあと、その次のアクションをどうするべきか悩むことがある。

きちんと翻訳して、現著者の了解を取った上でブログにアップしている人を時折見かける。特にコンピューターにまつわる技術方面で多い。すごいなぁとも思うけど、もしかしたら誤訳付き翻訳を流布しているかもしれない。良心が良質のものを生み出すとは限らない。

技術の話なら、誤りは誤りと指摘できる。でも解釈を挟む余地が存在する思想・文化に根付く文章は、安易に翻訳してよいものかなぁ?と思う。料理レシピに出てくるmoderate temperatureは「適当な温度」かもしれないし「人肌の温度」かもしれない。堅いゆで卵が好きな人もいれば、半熟にも満たないようなぐじゅぐじゅ卵が好きな人もいる。料理でこれなのだから、法律の解釈論になった日には、もう。

言葉はむずかしい。

*1:これは中東問題だけの話じゃないか・・・