猫と回想
久しぶりに猫みたいな友人に連絡がとれた。その人の実家では猫を2匹飼っていた。
1匹目は2年前に亡くなった。そして最近もう1匹も亡くなったらしい。
1匹目がいなくなったとき、その子は悲しみの淵に沈んで、卒論提出間際にも関わらず何も手に着かなくなった。
だけど周りは何事もなく日々の生活を送った。卒業間際のあわただしさとともに。卒業を遅らせていたために暇な私はできるだけその子と話すようにしたけれど、私も就職活動やゼミで疲れてしまうこともあった。
その子と共通の友人と話すと、そのころのことや、今の芳しくないその子の状況について話がおよぶことがある。友人として申し訳なく思う心はある。しかし自分には自分の暮らしがある。
そして、いつも同じ結論に至る。私(そして友人)は、他人のすべてにつきあうほど暇じゃない。みんな自分のことで手いっぱい。
この前提を忘れて、友情や愛情の大義名分を振りかざすのは、ただのこどもと思われても仕方ないのではなかろうか。