あこがれを抱かれる存在になろう


新聞記者の質が下がっている・・・というブログを読んだ。
http://minkara.carview.co.jp/userid/9433/blog/5014371/


確かに記者の質は下がっているかもしれない。だけど、私はそれよりも、新聞記者の社会的印象が芳しくないことが、気になるな。統計的な裏付けはない。けれど、私は「新聞記者になりたい」と言う人に会ったことがない。・・・というか、実は、私自身が新聞記者になりたかったことがあるものの、親にも友人にも「年功序列だし、どこに転勤になるかわからないし、きついよ」と止められた。


なぜ新聞記者になりたかったか? 新聞記事の文章を読むのが好きだったし、一般の人が知らないことを取材できるのが面白そうだったから。何よりも、自分が取材される機会があって、そのときに目にした新聞記者の仕事ぶりに感銘を受けたから。手間を惜しまず走り回って、関係者に話を聞いて、関係者自身にも見えない全体像を把握して、それを多くの人に伝える文章を書く。その姿が、とても、かっこよかったから。
この影響で、私は、何か気になることがあったら自分の目で事実を確認することと、読みやすい文章を書くことを努めて実践するようになった。いろいろあって、新聞記者にはならなかったけれど、2つの心がけは、私の人生にプラスに影響していると思う。


そんな経緯があるので、小さい頃には憧れを抱く対象があると良いよね、と思う。「自分もああなりたい、だからがんばろう」という思いは、生きる助けになる。例に挙げたような「新聞記者の仕事ってかっこいい」でも良いし、もっと単純に「大企業に入るのはスゴい」でも良い。「あんなふうになりたい」という思いは、生きるのって辛いなあ・詰まらないなあという底なし沼に抵抗する力を与えてくれる。



なんでこんなことを書いているかというと、冒頭のブログを読んで、新聞記者だけじゃなく、最近は社会的印象の良い仕事ってないよね・・・と思ったから。



比較しても仕方がないけれど、昔は見えないものが多くて、何かに憧れやすかった。今は、情報量が多くて、憧れを抱くのが大変。新聞記者になりたいと思っても、Googleで「新聞記者」を検索して、新聞記者のブログを見つけて、「今日も徹夜。眠りたいよー!」「上司が最低。なんでこんな仕事やってるんだろ?」・・・みたいな文章ばかりだったら、夢がしぼんでしまう。


ふと思いついたのだけど、大人*1の努めは、希望のある言葉を語ることなのかもしれない。努めというと面倒だけど、言い方を変えれば、自分の仕事の自慢をして、相手をうらやましがらせちゃうこと。これって、大人の特権なんじゃないかな。


毎日忙しくても、「この仕事、おもしろい!」と言える・書けるような仕事をして、年下の友人が「XXさんがやっている仕事は面白そう!」と思えるような言葉を語る。さらに広く言えば、自分と違う仕事をしている友人に、自分の仕事の良い側面を伝える。
そうすれば、あなたの仕事の社会的地位もあがって「XXさんて、新聞記者なの? かっこいいね!」と言われるようになるかもしれない。「大変な仕事をしているんだね・・・」と同情されるより、憧れられたほうが、嬉しいでしょう? 

追記

タイトルの横に出現した☆は、web拍手みたいな感じ?と理解してます。つけてくれた人、ありがとう。

*1:仕事を持っているという意味で「大人」