他人に厳しく、自分にはもっと厳しく

この本を読んでいる最中、ずっと、ずっと打ちのめされていました。

ある数学者の生涯と弁明 (シュプリンガー数学クラブ)

ある数学者の生涯と弁明 (シュプリンガー数学クラブ)

著者の数学者G.H.ハーディについては、Wikipediaをご覧ください。一言でいえば、一流の英国人数学者です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%95%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%AD%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3

その彼が、こんなことを書いています。



私は何一つ「有用」なことはしなかった.私の発見は,直接的にも間接的にも,また良きにつけ悪しきにつけ,この世の快適さにいささかの寄与もしなかったし,今後もするとは思えない.私は他の数学者の育成に助力してきた.が,彼らもまた私と同類であり,彼らの仕事も,とにかく私が助けた限りにおいては,私のと同じくらいに無用の存在である.あらゆる実際的な基準で判断すれば,私の数学者としての生涯の価値は零である.


別に彼は、自分のことを卑下しているわけではありません。彼は自身が「何かを創造した」ことを認めています。・・・しかし、その「何か」に価値があるかどうかには言及していません。そして、彼の生涯が完全に無意味ではないと言い切るためには、その「何か」が創造するに値するものであったと判断できなくてはならないと述べています。


わかりにくいですが、彼は数学者として知識を創造しました。
が、それでも自身の「数学者としての生涯の価値は零である.」に変わりはないということです。


ハーディの友人の文筆家:スノーが、彼の文章を「誇り高く、しかも謙虚」と表現しています。まったく、言い得て妙です。彼の文章は、為したことの大きさに比して、なんて謙虚なのでしょうか。我が身を翻ると、恥ずかしさのあまり絶句するしかありません。・・・が、私は絶句しようと思っても絶句できない愚か者です。なので、せめて、この本を紹介しておこうと思い、筆を取りました。「数学なんて勉強しても意味なくね?」という学生さん、もしくは「なぜ自分は今の仕事をしているのだろうか?」とお悩みの方、是非御一読ください。