日露戦争、資金調達の戦い

追記。著者ブログ「出版の意図?」にて、なぜ今このタイミングで日露戦争を資金調達・ロジスティックの面で分析する書籍を出したのかが語られている。「坂の上の雲」が好きな人は多く、あれはあれで良い本だけれど情緒に流れすぎている。こういう冷静な視線を大切にしたい。

山ほど日露戦争を分析した本があって、検証して反省して、それでももし、日本が今度戦争をやったらまた負けると思うのです。なぜなら肝心なことに未だに気がついていないからです。拙著の読者は日露戦争は一歩間違えば開戦早々に日本がデフォルトし負けていた可能性が随分高かったことを既に知っていると思います。


この書評を読んで、日本一時帰国時に購入した。著者はブログも書いている金融業界人。研究者でもプロ作家でもないが、膨大な資料を読みこなし分析して解りやすく一冊の本に仕上げている。趣味でこのレベルの仕事を成し遂げてしまうのか・・・と感激した。

4106036991日露戦争、資金調達の戦い: 高橋是清と欧米バンカーたち (新潮選書)
板谷 敏彦
新潮社 2012-02-24

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第1章 高橋是清深井英五

日露戦争にあたっての外債募集・資金調達のため欧米を旅した2人、高橋是清深井英五についてその略歴を紹介。wikipedia高橋是清深井英五)にも色々書かれているが、エピソード満載で楽しく読んだ。

第2章 20世紀初頭の金融環境

日露戦争の起こった20世紀初頭の国際金融市場を解説。金本位制、列強各国(英独仏米、中国インド、そしてロシアと日本)の経済規模、英米の金融市場、そして有力プレイヤー(マーチャント・バンクやアメリカの大物金融家)について紹介している。ろくに近代史をやっていない自分にとって、知らない事ばかりだった。

以下、自分にとって新しかったことを抜き書き。

  • 1844年に英国が金本位制度を採用すると、ヨーロッパを中心とする各国はこれにならい金本位制度を次々と導入した。
  • 金本位制を導入した国の通貨は、金の価値を媒介として固定為替相場を持つ事になる。
  • 国内で戦費調達のために内国債を発行して通貨の発行量を増やしてしまうと、兌換のために準備しなければならない正貨(=金)が不足してしまう。したがって、ここでは二つの意味で正貨が必要だった(=外国債の発行が必要だった)。
  • 金本位制を採用することは「承認の印章」とも呼ばれていたほど。何故ならば金本位制の維持には、健全な管理通貨制度と節度ある財政金融政策が要求されたからである。この冬至、金本位制を採用していない国は為替が不安定なために外国からの資金調達は困難であった。金本位制度の採用は、国際金融市場における戦時公債発行のための最低条件のひとつとも言えたのである。
  • "Panic of 1890": 1890年のベアリング恐慌
  • 日露戦争当時のアメリカには、中央銀行はまだなかった。(略)アメリカは1776年の建国以来2度ほどそうした試みがあったものの、中央集権を嫌う分権主義者たちによって毎回取り潰されてきたのだった。/現在の連邦中央銀行(FRB)が設立されるのは1913年になってからのことで、それまでは個々の銀行が金を準備し兌換紙幣を発見していたが、通貨システムは安定しなかった。(略)この時代に、中央銀行の代役として経済危機の度にニューヨーク市場を支えていたのは、銀行家であるモルガン商会(今のJPモルガン)の主ジョン・ピアポルト・モルガンだといわれている。
  • ヤコブ・シフ率いるユダヤ資本のクーン・ローブ商会
  • ノーザン・パシフィック事件:アメリカ二大金融グループによるバーリントン鉄道の買収合戦
    • シフのクーン・ローブ商会+鉄道王エドワード・ヘンリー・ハリマン
    • モルガン商会+鉄道王ジェームズ・ヒル
    • この事件によって「1910年の暗黒の木曜日」=株式市場の大暴落が起きた
  • その後、1930年のグラス・スティーガル法によって銀行と証券の分離がなされ、モルガン商会はモルガン・スタンレー証券JPモルガン(銀行)に。クーン・ローブ商会は二度の世界大戦で勢力を弱め、1977年にリーマン・ブラザーズに吸収されてしまった(そしてその後リーマン・ブラザーズリーマン・ショックウォール街から姿を消した)。

金本位制(gold standard)」、言葉では知っていたがそんなに重要なものだったのか。なぜ今はなくなってしまったのだろうか?」と不思議に思いようやくニクソン・ショックをまともに知った。すると「しかしなぜ今の社会は金という裏付けなしに発行されたお金(貨幣)を信用できているのだろう?」という疑問が出てきた。どうやら銀行の信用創造が重要な役割を果たすのだが・・・ではなぜ金融危機がこんなにしょっちゅう起こってるのだろうか等、いろいろ「?」は尽きない。

第3章 日露戦争

歴史的背景をざっと見てから、日露戦争開始時点での日本の株式市場、ロンドンやニューヨークの金融市場、日本やロシアの財政状況、そして公債発行の基本データなどを俯瞰している。


日露戦争開戦前に日本の株式市場が大暴落、取引所理事長が今の財務大臣に呼びつけられて「東株取引所の責任者として、アナタは当然善後処置を講じなけりゃならぬ」と言われると、その足で東京一の資産家の家を訊ね、大規模な「買い出勤」を要請、それはできぬという彼を拝み倒して動かし、取引市場を閉鎖の危機から救う・・・というエピソードが興味深かった。今では(昔でも)あってはならぬこととはいえ、政治と経済はいつでも不可分な関係にあるのだな。


また日本の台所事情だけでなく、ロシアの苦しい財政についても触れている。資金調達に四苦八苦していたのは日本だけでない、両国ともに国内だけでは資金が足りず、国外で債券を発行して軍資金を調達する必要があった。これを実際に発行された公債の条件を並べて解説している。

第4章 高橋の手帳から見る外債募集談

最初の戦時公債発行までの流れを時系列で追う。実際の時系列と「高橋是清自伝」には若干食い違いがある、この点についての著者の分析が丁寧に書かれている。興味深いところがたくさんありすぎて、どこを抜粋したら良いのかわからない。この章だけでも後日また読みたい。


一カ所、孫引きになってしまうが、鴨緑江の戦い(=日本が勝利した、またロシアの海将マカロフが戦死して欧州各国でも大きく報道された)の後にも公債発行の良い条件が引き出せず、私募債(短期証券)で手を打とうかとしていた高橋是清の元に、個人金融家アーネスト・カッセル卿の関係者であるビートンがやってきた際の記述をメモしておく。素晴らしいアドバイスだと思う。

午前十時。予約に従って、H・Rビートンが訊ねて来た。
彼は、私が影響力のある金融人を助言者にする必要があると提案した。
日本は、不幸にも一流の金融人を今日までアドヴァイザーにしていない。
彼の意見に依れば、アーネスト・キャッセル卿こそは、彼が推挙したく思う人物である。もっとも、彼が応じてくれるか否かは確信を持てないけれど。・・・(中略)
もしも日本が、会戦同様陸上戦でも敵を打ち負かす決心なら、(借款は)その時まで待った方がいい、ただし待ってる間にもチャンスには備えておるべきだが

第5章 戦況と証券価格

第4章に続き、日露戦争の各会戦・イベントを通じて日露の公債価格がどのように変化したのか、公債発行条件がどう変わっていったのか・・・つまり両国の戦費調達についてを追っている。本書のハイライトともいえる章。


ロシアの「血の日曜日」事件に対するロンドン市場の反応も鮮やかに切り取られていて面白いし、日本国内と国外(ロンドン)の市場で戦況に対する反応が違った様子がはっきり対比されているのも興味深かった。文章だけでなく、事件とそれに対する市場の動きをチャート付きで説明されているので、歴史的出来事のインパクトの大きさが具体性をもって伝わってくる。


国民およびマスコミの的外れな報道もしばしば引き合いにだされている。高橋が(金本位制維持のための正貨=金がなくて困っている)政府にせっつかされて第2回の公債を発行したのを受けて

今回、日本にとって発行条件が悪い原因は、以下の2つの理由によると考える。

  1. 前回は価格設定が安過ぎたが、今回もシンジケートがこれを基準にした。
  2. 当局者に依る発行のタイミングが悪過ぎる。

旅順陥落はよほど間近に迫っているのだから、もう少し待てばよかろう。正貨準備補充のために外債を発行するのは仕方がないとしても、これほど悪い条件で記載する担当者の責任は政治的な問題になるかもしれない。

と報じている。公債の発行は11月。旅順陥落は10月からいまかいまかと言われていたが結局は翌年1月までかかった。また(日露戦争開戦前は50%あった)正貨準備率は21.1%で、日本は一刻も早く外貨が必要な状況だった。マスコミを含む国民にはこの事実を知らされていなかったとはいえ、大メディアが大衆に合わせて愚かな情報を発信するのは今も昔も同じということが分かる。商業主義だと大衆に媚び、政府発行だと大本営発表になる、それがメディアの限界なのか。


また高橋是清と(クーン・ローブ商会の)シフとの関係や金子堅太郎とルーズベルト大統領の交流も幾度も取り上げられている。政治/ビジネスというのは利益の奪い合いももちろんあるが、人間関係の構築が大事ということがよくわかる。

人にものを頼めば、お返しは必要である。21日に高橋は、クーン・ローブ金融グループの鉄道王ヘンリー・ハリマンから午餐会の招待を受けている。ハリマンはこの時、日本への旅行を計画中であったので、高橋に色々なアレンジを頼んだのだと想像できる。(略)元老達や政府要人たちとのミーティングをセットし、議題になるであろう南満州鉄道案件の根回しをしたのではないだろうか。当時の感覚で、シフに恩義を感じ無い日本人はいなかっただろう。

日本と外国は違う、またはアジアと欧米は違うetcといわれるものの根っこでは通ずるものが多い・・・ということは、自分も感じることが増えた。しかし当然ながら日本語(母語)でできないことが英語(外国語)でできるわけないので、日本でよくいる「気遣いのできる人」というのは大きな才能。

第6章 戦後と南満州鉄道

戦後の借換債発行(高利率で発行せざるをえない戦中の公債を、低利で借り換えるための公債)、南満州鉄道設立までの推移。「桂・ハリマン事件」ってなに?という自分でもわかるよう満州鉄道のファイナンスについて事の顛末がまとめられている。

最後の公債発行は、シフ(アメリカ)では断られてしまった。この後アメリカは「1907年の恐慌」に見舞われる。イギリスでも市況は芳しくなく、フランスでの調達をすすめられる。しかしフランスの首相はすったもんだの末に”ロシアが反対しているから、日本の資金調達には応じられない”という。それを受けて高橋から相談された英国大使・小村寿太郎は、ときの外務大臣・林に「ロシアは日本のフランスに於ける募集に反対するのかということを、閣下から直接ロシアに聞いてみたら如何でしょうか」と電報を打った。

この問題は、この一文で簡単に解決してしまった。つまりは、この一件はフランスの腹芸であって、ロシアは日本のフランスでのファイナンスに反対などしていなかったのである。この光景を見ていた深井は、外交の難しさと小村の手際の良さに、すっかり「感服した」そうである。

自分も感服した。外交とはこういうものなのか。

チャートだけでなくこういうエピソードも少しずつ紹介されているのが本書の楽しいところで、退屈せずに読み進められた。

エピローグ 日露戦争のその後

著者による本書のまとめ。本書は一貫して言えることだが、この章でもチャートやグラフが多用されていて論旨が明快。国民の租税負担の推移をまとめたグラフと政府債務対GDP比率のグラフは、現代の日本に思いを馳せつつ思わず見入ってしまった。


引用文献

本書では、新書とは思えぬほど大量の文献が引用されているが、そのなかでよく引用されていたのがこの3冊。