絶望の中を生きる

映画版「Blame!」、予告編を見て一目惚れ、劇場版で見てうっとり、もう一度見たくてNetflixに入会して2度目の鑑賞。

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壊れ続けていく世界を止めることのできる遺伝子を探す最強の主人公。探しものが見つかる可能性はほぼない。人類は次々と排除されていく。それでも主人公は壊れ続けていく世界のなか旅を続ける。2度目の鑑賞中、私はこの絶望的ともいえる世界観が好きなのだなーと気がついた。


私はどうにも根暗で、広い意味で「絶望」を感じるのが好きな性分らしい。だからなのか、自分の生きる国の未来についてはすごく悲観している。
この国の経済規模はまだまだ大きいことは知っている。世界第3位、アジアでは第2位の経済大国である。優秀な人もたくさんいるし、世界的な企業も少なくない。でも人口動態的にどうしても経済は下り坂だし、1年前まで私が関わっていた業界へのお金の流入は先細りだし、保守的で完璧を求める文化は絶えず変化する技術をキャッチアップするためには不向きだし、私はその完璧主義がすごいことは理解しつつも苦手なので息苦しい。そういう意味合いで、私は「この国に帰る=絶望的な世界に帰る」ものと覚悟を決めていたし、異業界に仕事を移した今も大筋ではそういう考え方をしている。

そのいっぽう、5年間色々な国の人と話す機会を得て、自分がどれだけ恵まれてきたか、「絶望」なんて口にするのも恥ずかしいほど平和な環境に生まれ育ってきたのだということも理解している。社会がそれなりに安定して機能してて、美味しい食事を食べることがそこまで難しくなくて、日々の娯楽には困らず、100点満点までいかなくてもそれなりに満足のいく手段で日々の稼ぎを得ることができる。ちょっとしたやる気とお金を出せば、新しい趣味にチャレンジすることもできる。十年先のことを考えると絶望的な気分にしかならなくても、今生きていくことには困らない。楽しいことは色々ある。そんな場所に生まれた私は、幸運だと思う。


経済的に先行きが暗くても、明日会いたい人、行きたい場所、食べたいもの、読みたい本、聴きたい音楽があれば、ひとまずは生きていける。それができるだけの自由を確保できれば、それでいい。最近の私は、そういう日が1日でも長く続くように、今できることをしようと思いながら、毎日を過ごしている。

季節が移り変わって、花が咲いて、ちょっと奮発すればその時々の美味しいものを食べることができて、読みたい本や聴きたい音楽を聴けて、会いたいときに家族や友人に会えて、刺激が欲しければイベントに参加して……、生きるのも悪くない。そう思えることは素晴らしい。


最近、ふとしたきっかけで自分が好きなバンドCoalter of the deepersの歌詞を評したこんな文章を見かけて、自分は絶望的な世界観が好きなのだなーということが、とてもしっくりときたので、書き留めておく*1

特徴的なのが、絶望的な状況であっても絶望しているわけではないこと。状況こそは絶望的なのですが、それでもどうにか生き延びようとする意志が見うけられるのです。もちろんそうでない曲もありますが、「これから」を予感させる終わり方をしている曲が多いようです。
coaltar of the deepersの絶望的世界観について : 炭鉱のカナリア

私は絶望している。でも、それでも生きているし、前に進む。

*1:ふたつを繋げて書いているが、Blame!とCoalter of the deepersに特に共通点はない、私が好きなものであるということ以外には。