アルメニアに行ってきた エレバン近郊・エチミアジン・ズヴァルトノツ

ホテルのロビーでガイドと落ちあい、車でArmavir(アルマヴィル)地方へ向かう。この日訪れたのは

  • St. Hripsime church (618 A.D. 聖フリプシメ教会)
  • Etchmiadzin (303 A.D. エチミアジン)
  • The Church of Saint Gayane (630 A.D. 聖ガヤネ教会)
  • Ruins of Zvartnots ( 7c. 643-652 A.D. ズファルトノツ古代遺跡)
  • Matenadaran (マテナダラン・古文書博物館、エレバン市内)
  • Museum of Genocide(虐殺記念館、エレバン郊外)
の6カ所。()内の年号は建築年。詳しい案内はDTACアルメニア観光情報局 エチミアジンにまとまっている。

エレバンから車で20-30分ほど走るとすっかり郊外、建物もまばらで、あるのはせいぜい建築用の石を売る店くらい。聖フリプシメ教会は、そんななかにポツンと建っていた。ユネスコ世界遺産に登録されているらしいが、まだ朝だったからか、人も少なく閑散としていた。解説は、DTACアルメニア観光情報局さんから引用させていただく:

ここにはキリスト教化前のアルメニアで、異教徒であったローマ帝国ディオクレティアヌス皇帝からの求婚を拒んで殉教した、聖リプシマが祀られています。聖フリプシメの惨殺を命じたアルメニア国王はその報いで重い病にかかり、先にキリスト教に改宗していた妹の忠告を聞き入れ、長年牢につないでいた聖グレゴリウスを解放。さらに、キリスト教を国教として受け入れ、建設したこの教会の地下墓地に聖フリプシメの亡骸を葬ったと伝えられています。
出典 DTACアルメニア観光情報局 エチミアジン
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次に向かったエチミアジンとは、アルメニア教会の総本山(カトリックでいうバチカンに相当)で、カトリックでいう法王にあたるCatoricos(カソリコス)が住んでいる。大聖堂以外にも修行中の司祭用の神学校や住居、宝物館や書店などがあり、ちょっとした町といった雰囲気だった。ここの大聖堂に「ノアの箱舟」のノアが大洪水のあと生け贄を捧げる台を設置したと信じられている。ちなみに洪水後にノアの箱船が流れ着いたのは、アルメニア人にとっての聖地・アララト山と言われている。アララト山は現在トルコ領にあるが、アルメニア人はアララト山があるエリアを「西アルメニア」と呼ぶ。

大聖堂は、4世紀に建てられた基礎部分をもとに増改築を繰り返しているそうで、あいにく訪問時もドームに足場が建てられていた。アルメニア教会は古い、たとえば7世紀に建てられた教会であっても、現在進行形で利用されているものが多いのが印象的だった。
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そして聖ガヤネ教会。ここはハチュカル(十字架石)が見事だった。アルメニアの教会を訪ねていると必ず目にする十字架石、これについては後日改めて。この教会もユネスコ世界遺産アルメニアは国全体が世界遺産でも良いと思う……というくらい、そこらじゅうから歴史が感ぜられた(学校でろくに世界史を勉強しなかった自分でもわかるくらいに)。
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ここでランチ休憩。前菜に出てくる山盛りの野菜+ハーブがおいしい。メインはアルメニア風のケバブ。トルコケバブほど脂っこくなく食べやすい。
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ズファルトノツは、エレバンの国際空港にも名前が使われている。7世紀にカソリコスの命で大聖堂が建てられた。しかし10世紀に大地震で倒壊し、その後20世紀初頭まで土に埋もれていた。ガイド曰く、20世紀初頭まではただの大きな丘で、そこを掘り返してみたら大聖堂や宮殿の残骸が出てきたという。発掘後に修復しようという動きもあったものの、ソ連が崩壊して話が止まり、現在のような遺跡状態でそのまま保存されているという。石に彫られた文様が綺麗に残っている等、屋外で吹きさらしなのにも関わらず状態が非常に良いのが感動的だった。保存という観点からみたとき、アルメニアの乾燥した空気は大きなメリットなのだろう。
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そしてエレバンに戻り、郊外にある虐殺記念館に立ち寄ってから、古文書博物館(マテナダラン)に行った。

虐殺記念館は第1次世界大戦中にトルコ国内で起こったアルメニア人の強制排除による犠牲者を祀る場所で、展示物は少ないが、立派な建物とモニュメントがあり、アルメニア民の「この出来事は忘れてはならない」という決意の強さを感じた。虐殺の証拠を展示するためには、現場=今のトルコ領土内に行って調査をする必要があるが、現在アルメニアとトルコは歴史認識の違いもあり国交断絶中。トルコと和解に至らぬ限り本格的な調査は難しいのだろう。
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マテナダランは、保存状態が良い史料が多くて驚いた。遺跡だけではなく書物も、1000年以上経過したものとは思えないほど良い状態。10世紀台のパピルスに書かれた史料は肉眼で文字を読み取れる状態。シルクロードを通じて入ってきたペルシャ語アラビア語、日本語の史料も色彩豊かな状態で展示されていた。修復を入れているとは思うが、それにしても状態がいい。ちなみに建物の前には5世紀初頭にアルメニア文字を作成したMesrop Mashtotsの石像が立っている。
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観光後、町を少し歩きたいと希望を出し、自分たちだけで散策することに。ガイド氏の自宅そばにある手工芸品を売る店がたくさん出ているフリーマーケットを少し見て、雨が降りそうなのでカフェで休憩、それからガイド氏曰くショートカットだという道+長いトンネルを歩いてホテルに帰った。途中で公園に通りかかり、エレバン市民の生活を少しだけ覗き見した。

ちなみにアルメニアでは東アジア人を見かけることが殆どないので、歩いていると現地のひとの視線を感じることが時々あった。特に子どもは素直で、公園で三輪車に乗っていた5歳ほどの女の子が私に視線釘付け、しまいにはバランスを崩して転倒してしまった。
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