アルメニア旅行と日本帰国

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アルメニア旅について,Twitterでまとめている方がいた。良い写真がたくさんある。アルメニア旅行を考えてる方は,そちらを参考にすると良いだろう。ここにあるのは,ただの個人的な記録。何度も書き直して、いちおう読める状態になったところだけ記しておく。


アルメニアの豊かさは、説明するのが難しい。GDPは一人当たり年3,000ドル程度(日本は32,000ドル程度)、隣国アゼルバイジャンとはナゴルノ・カラバフを巡って半ば戦争状態、もう一方の隣国トルコとも歴史認識を巡って敵対状態、そんな政治・経済環境のなか、国内で発電用資源(ガスや石油)は得られず、輸入も困難なため、理論的には使用停止するべき老朽化した原発(メツァモール原子力発電所)に電力を頼っている。経済状況にたえかねて、また男子は兵役から逃れるため、国を出て外国で職を得る若者も多い。アルメニア人女性は美しいことで世界的に有名なのにもかかわらず、(男性が国を出てしまう割合が多いため)女性の数が多いため、未婚の女性が多い。数字だけ見れば、アルメニアは全然「豊か」じゃない。

参照:アルメニアの厳しい現状 | 不思議な、不思議な「アルメニア共和国」


しかしわたしは10日間のアルメニア滞在中、その豊かさに圧倒され続けた。滞在したのは2014年5月のこと、ガイドとドライバーを10日間雇って周遊するという、いかにも気楽な旅行者ライフスタイルだった。だから快適な滞在をできたのだ、現地の生活の苦労を知りもしないくせに・・・と,自分でも少し思う。しかし私が感動したのは、きらびやかなランドマークではなく、辺境の小さな村にたたずむ築1500年の教会、その教会を村の人々が日常の礼拝に使うことができること、そういった重厚な歴史の存在だ。もちろん街を普通に歩ける治安の良さ、言葉は通じなくても親切な人々、なにげない食材の美味しさも好印象の大きな背景だ。

わかりやすいところで、食事の話から始めよう。アルメニアの食卓には季節の変化に富んだ気候に育まれる真っ赤な完熟トマト、多種多様なハーブ類、そしてあっさりしたフレッシュチーズが並ぶ。焼きたてのラヴァシュという薄焼きパン(インドのナンを発酵させずに焼いたようなもの)に豊富な野菜を挟み頬張ると、香ばしいラヴァシュと、風味豊かなハーブ、甘いトマトの味が混ざり合い、堪らなく美味である。様々なスパイスをつけて焼いたチキンやマトンのバーベキュー(トルコのケバブをあっさりした味付けにしたようなもの)を挟んでもおいしい。肉料理を頼むと、つけあわせとしてジャガイモや玉ねぎを炒めたものが添えられるが、ただ炒めただけの野菜も、新鮮さの成せる技か、ひとかけも残したくない味だった。

豊かなのは味だけではない、レストランも道端の小さなカフェの店員さんも、とても気が利く。チップ制でもないのに、適切に気遣いをしてくれる。英語ができる・できないはそれぞれだが(できない人の方がどちらかというと多い? 通じなくてもなんとなくどうにかしてくれるが)、タイミングよくオーダーを取りに来て、気持ちよく料理をサーブする。日本にいると当たり前のようなサービスだが、日本国外では必ずしも当たり前のことではないということは、いくら強調してもし足りない。資本主義の世界においてサービスは金次第だし、お金を払ってもろくなサービスを受けられない場所もある。


アルメニアという民族と国の歴史の長さ、文化の豊かさについてにも触れておきたい。アルメニアは「東欧」と認識されることが多いが、実際の位置はトルコの東隣なので、地理的にはむしろ中東というほうがしっくりくる。しかし東欧として認識されるのは、おそらくアルメニアキリスト教国であるためだろう。

アルメニアは世界で初めてキリスト教を国教とした国だ。より正確にいうと、「アルメニア聖教」を信仰する国だ。キリスト教がローマ・バチカン法皇に取りまとめられる以前のままのキリスト教で、今も独自路線をとっている。非キリスト者がパッと見てわかるのは、教会の建築様式の違い程度だが、歴史的な経緯もあり、彼らとしてはおおいに誇りに思うところがあるらしい。

10日間の旅を共にしたガイド氏は「キリスト教を宗教として認めないローマ帝国に対して、アルメニア人のXXX(聖グレゴリオス?)が説教を行い、ローマ人を改心させた」という話を幾度も聞かせてくれた。ローマ帝国キリスト教を受け入れて、ローマ法皇をはじめとする教会制度ができる等、少しずつ形を変えて「キリスト教」が諸国で受け入れていくいっぽうで、アルメニアは形を変えずに当時そのままの形で信仰を続けている・・・との弁。

いっぽう、現在の「アルメニア」という国家ができたのは、ソ連解体後の1991年のこと、つい最近だ。ソ連に組み入れられる前は旧ロシア帝国の、さらにその前はオスマントルコというイスラム教の大帝国に統治されていた。またオスマントルコ時代後期は、アルメニア人とキリスト教に対しての弾圧が激しく、アルメニア人大虐殺などもあり、民族的に苦難の時代だった。それより前は・・・複雑なので、興味がある方はwikipedia あたりを参照してほしい。年表を見るだけで、ユーラシア大陸の真ん中、ロシアと欧州と中東の中にある土地の難しさを感じることができると思う。

参照:アルメニアの歴史 - Wikipedia


アルメニアの教会は古いものが多い。しかしその装飾のレベルは極めて高い。スペインやイタリアの教会のようなきらめきはないが、息を飲むほど美しい石の彫刻があまた残されている。特筆すべきは「ハチュカル」と呼ばれる十字架の彫刻。教会の壁や敷地内のタイル、墓石などに使われる。長辺1メートルほどの長方形の石タイルであることが多いが、サイズやスタイルにきまりはない。1メートルより大きいものも、小さいものもある。アルメニアで採掘された石に十字架をモチーフとした飾りを描いている・・・という点は皆共通しているものの、きわめて自由度が高い。このハチュカルを眺めて回るだけでもアルメニアを楽しく一周できてしまうだろう。

アルメニアは豊かだ、ということを伝えたいだけなのだが、どうしても長くなってしまう。自分の文章力のなさもあり、いくら書いてもうまく伝わる気がしない。しかし、いくらでも言葉を連ねたくなるほどに、私は心を揺さぶられた。


その頃の私は、自分が滞在していた国に疲れていた。お金があれば大概のことはなんとかなるが、歴史や文化や温帯気候はお金では買えない。私がいた国ははっきりとした資本主義国だったので、お金を払ったぶん人は動く・それ以上は動かない。いっぽう外国人として働くためのビザで存在を認められている自分は、お金を稼げなければ存在価値がない。

とても明快な論理で、わかりやすい。嫌いではなかった。でも、自分がそこに住み続けたいのか? いつまでも右肩上がりに稼ぎを上げていきたいのか? 常夏が嫌になったら別の季節がある国に旅行すればいいのか? と考えると、よくわからなくなった。怪我や病気をしたら、仕事がなくなったら、ビザが更新できなくなったら等々、様々な「たら・れば」を考えて、(今思えば)不安から目をそらすために、永住権を取ろうとした。

そんなときにアルメニアのお金では買えない豊かさを見て、意地になって資本主義的な豊かさを追求しなくても、幸せに生きることはできるのだと心が揺れた。ソ連時代は研究者をしていたというガイド氏が何度か語った「ソ連崩壊後,アメリカに(研究者として)来ないかと誘われた。でも自分はここに残ることを選んだ」という言葉が耳から離れなかった。私も日本に帰りたいと思った。四季があって自然がある日本に帰りたいと思った。