健全な絶望感

子育てで忙しそうな友人が、最近のニュースを踏まえて「どの国もロクでもねー」と言ってるのを聞いて、不思議に思った。あなたはこの世界に何かしらの希望を抱いたから子孫を作ろうと思ったのでは?と訊くと、「そんな事考えてたら子供なんて作れないよ〜」と別の子育て中の友人に笑われた。子供がいてもいなくても、この世はロクでもない場所であること、私風に言えば地獄であるということは変わらないのか。そうなのか。

昔は、この国にいるから未来に希望を持てなかったり、生きるのが辛かったりするのかなぁと思ってた。そこでこの国じゃないところに行ってみたけど、やはり未来には希望を持てなかった。他の場所についても読んだり聞いたりすると、どこに行ってもこの世は地獄らしい。なんなら宗教や哲学について調べると、どうやらあの世もこの世と大して変わらないようだ。

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最近読んだこの文章を受けて、私はこの世界に対する絶望について考えている。
kamosawa.hatenablog.com

この文章を読んでの第一印象は、健全な絶望感を持っているな、だった。

しかしよく考えると「健全な絶望感」ってなんだよ。どのあたりが健全だというのか。おそらく、ここで描かれているのが我が国に対する個別的な批判であり、それに対する解が(到達不能かもしれないが)存在するという前提があるからだ。

ある社会を批判して、そこから逃げ出すのはたやすい。この世への恨みつらみを遺書に記して首を吊るのは(たやすくはないが)ありがちだ。私がよその国に行ってみたのも、逃げの一種だ。しかし、ある社会を批判をしつつその中で生き続けるのは、ある程度の胆力が必要だ。

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昨年夏から今年の春先まで、私は仕事で精神をヤラれていて日常より外側の世界について考える余裕がなかった。自分に絶望していて、社会について絶望する余力がなかった、ともいえる。

色々もがいたおかげで最悪期を抜け出すことができて、ここ数ヶ月は少し余裕が生まれてきた。しかしこの3ヶ月ほど、世界は戦争やインフレなど暗い気分になる話題に事欠かない。いやこの3ヶ月に限らずとも、ニュースになるのは暗い話ばかりだ。見る側面によって、人間を含む生き物は常に利己的だし、世界は常に地獄だ。

このように飛躍して、大きな主語と抽象的な結論に逃げるの、自分のダメなところだなーと思う。絶望に酔って悟ったような口で所感を語るのは、ただの思考停止だ。

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前掲の文章が自分の琴線に触れるのは、書き手のかもさわさんがただ絶望して思考停止するのではなく、絶望した上でどう生きるかという姿勢に健全さを感じるからだろう。絶望に酔ってそこにとどまるのではなく、目的を定めて分析を行い、何が不足しているのか・どうあるべきかを語る。そういうやり方もあるんだなと。

もちろんどうすれば不足点を補完できるか・あるべき状態に近づけるのかまで語ることができれば建設的な議論になるが、それには相応の勝ち目というか、楽観性が求められる。この世の地獄っぷりを踏まえると、楽観的になるのは現実的ではないケースも少なくない。しかし地獄を変えるすべがないことを前提としても、分析はできるし議論もできる。この社会はロクでもないものだとしても子供を作ったり、周囲の人を教育したりして、世界に何がしかの影響を与えることもできる。

自分もまだしばらく生きていく見込みなんだし、もうちょい頭使って、健全な絶望感を抱いていきましょうやと思った。そんな感想文。