なぜデザインなのか。

原 研哉と阿部 雅世の対談。デザイン関係の書籍は、普段と違う視点を与えてくれるので、時折読むと非常に面白い。この本もいろいろ「はっ」とさせられる箇所があった。

なぜデザインなのか。なぜデザインなのか。
原 研哉/阿部 雅世

平凡社 2007-10-02
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p. 28
原 すべてが連続していて、途切れないことが大事だと思います。企業の仕事をお手伝いするということは、その企業が社会の中になぜ存在しているかを、いかに適切に表現できるかが仕事になるわけです。別の言い方をすると、経営者のヴィジョンをヴィジュアライズしていくお手伝いをするということです。そう考えると、やらなきゃいけないことが無数に見えてくる。「ポスターをつくってください」と依頼された時に、ポスターをひとつつくって終わりにしたら先が見えない。問や問題、解くべき課題みたいなものを無数に提案して、それが先方に理解されるようになると、仕事が進みます。当然、エンドレスになって継続していく。とにかく、消費されるためにデザインしてはいけない。

消費されるために出版してはいけない。次につなげる、つながる。

p. 65
原 コミュニケーション能力というか、感受性そのもの、どういうふうに感じられるかという感動の幅が生まれる。(中略)物事に感動する感受性のキャパシティがしっかりしていると、やっぱり言葉もしっかりしてくる。言語は、非常にデリケートな者に、感受されるべき輪郭を与えて行くものです。輪郭が与えられないと曖昧なまま見過ごされてしまう。
(略)
阿部 イタリア人は本当にコミュニケーションが上手です。本能というか才能というか。難しい微妙な問題が起きてディスカッションすると、日本ではだんだん焦点がずれていって、本質から外れたところで思い切り話がこじれることも多いんですが、イタリアだと問題の焦点ははずさずに、言いたいことはもう遠慮なしに全部出しちゃって、もう大喧嘩のようなディスカッションをしてもね、こじれかかってくると、冗談を言ったり、コーヒーいかが? なんて言って、適当にテンションを抜く。それから、ひとりの人が追いつめられるような状況にしない。人にせいにしない。自分の性です、とも絶対に言わないけど(笑)。最後には機械の故障だ、とかいって、機械に責任をおっつけて、それはともかく、解決方法に集中する。これは素敵なことでね。いろいろ学びました。

いま通ってる英語教室でイタリア人とフランス人のクラスメートがいて、その2人はかなり議論好き。だけど決して議論相手を追いつめるようなことはしない…ということを思い出した。自分も時折「なんで日本は鯨を殺すんだ」等々議論をもちかけられるが、決して攻めるような口調ではない。むしろそこからコミュニケーションを広げて、こちらの意見を引き出そうとしている印象を受ける。

p. 68
阿部 声というのは聴覚的なものだけでなく、「HIPTIC」なものですね。人間のキャラクターについて、一般的には見た目で判断していると思われています。でも、実際はその人の持っている声が、かなりの割合でその人のキャラクターをつくっている。

WSJの記事就職や出世に影響する話し方 - WSJ.comを思い出した。「話し手の声は、話の中身よりも2倍重要であることが、120人の企業幹部のスピーチを調査した昨年の研究で分かった。」自分も声に重みを出せるようになりたい。もう少し低めのトーンでしゃべったほうがいいのだろう。

p.75
原 デザインに携わっていると、いろいろなことを知りたいなと思うんですよ。世界のすべてにデザインで関与したいという欲求すら生まれてくる(笑)。だけど一人ですべてに触ることはできない。だからせめて、自分の興味がユニークでありたいと思います。

なんでもかんでもは手に入れられない。欲張っていると何もできない。

p. 86
阿部 受け入れるだけでなく発信するというのは、いまの日本にとって、本当に大切なことですね。柳宗悦さんが、昭和5年に、ハーバード大学で「日本における美の標準」という講義をしたのちに、日本は文化で世界に貢献するべきだと痛切に思った、というようなことを書いておられますが、それから80年近くもたったいま、孫、ひ孫のような世代の私たちが、いまだに手土産持って、教えていただきにあがるばかりだとしたら、恥ずかしいことだと思います。

p. 148
「緑と湿気を財産とする」

セクション名が好き。よその場所(ヨーロッパ)にはないものを大切にするという姿勢。

p. 181
阿部 (前略)人のせいにできないのは、とてもいいですよ。人に決めてもらって、人のせいにしていたら、とっくの昔に挫折しています。だから両親にはすごく感謝しています。

子どものとき、いつおしゃぶりを捨てるかということも自分で選んだというエピソードが面白かった。


p. 195

  • HAPTIC、触り心地を共有するための言葉を開発するプロジェクトのはなし。ふしゃ、にゃむ、しゅわ、etc. オトマノペを使い慣れている日本語好きとしては、気になるプロジェクト。

Haptics is any form of nonverbal communication involving touch (from Greek ἅπτω = 'I fasten onto, I touch'). http://en.wikipedia.org/wiki/Haptics

p. 240
阿部 そうして稼ぐのは、あくまでも家を守るためであって、稼いだお金でおじいさんの古い屋敷を延々と修復しつつ、村のカテドラルを修復しつつ、いつもながらの生活を続けて行くわけです。ちょっと余裕ができて、モダンがやりたいな、という時は、世界一流の建築家を呼び寄せて、アバンギャルドな建築を一棟、自分の敷地内に設計させる。こういう人たちは滅びませんよね、世界が滅びても、中国のような大きな竜が暴れる時代には、小さくて独立していること、プライドを捨てないこと、これが、生き残りの秘訣かもしれないと思います。

小さくて独立していること、プライドを捨てないこと。

p. 252
阿部 デザインというのは、人が関わることで、どんどん豊になりますからね。そのハーモニーを紡ぎ出していくのは、本当に楽しい。

どんな仕事にも言えることだと思った。豊かになるということは、混沌とする危険性も出てくるということだけれど、このひとことはさらりとポジティブですてき。

p. 258
阿部 社会の不具合はいくらでも出てくる。10年前には具合のよかった家具も、10年後の生活には合わないこともあるし、去年まで調子がよかったものも、今年の生活の仕方によっては変わってくる。そういう不具合をしょっちゅう修正して、アップデートしていく。

「消費されるためにデザインしてはいけない」に繋がる。途切れないこと、課題は次から次に出てくる。

p. 265
阿部 (前略)デザインは広告で紹介されるものでも、買ってくるものでもなくて、人が毎日の生活をいかに大切にいつくしむか、そういう土壌の上に育って、花を咲かせるものだから、繊細で新鮮な目で毎日の生活を観察し、覚醒し、まずは自らの生活文化をきちんと耕すこと。そこから始まるような気がします。

日々を自覚的に生きること。そのためにデザインや本を活用する。

p. 269(あとがき 阿部雅世)
「教養のない土地は、滅びるしかないんだよ」という、ファリロスの老職人のつぶやきは、日本中にこだましている。

本書の中で紹介されていた「デザインのデザイン」の英語版=DESIGNING DESIGN, Lars Muller Publishers、気になるけど、ちょっと高嶺の花……。

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Kenya Hara

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