夢の教訓

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数日前に、夢を見た。
「怒ってるなら、なぜ怒っているのか説明しないと、わからないよ」
と、ある人に向かって叫んでいた。

「なぜ怒っているのか」「なぜ不機嫌なのか」「なぜ泣いているのか」そういった色々な「なぜ」をきちんと言語化しないで、感情だけをぶつけられても、相手は困るだけだ。でも、そういうことをする人はいる。それは、たぶん、甘えだ。言わないでも理解してくれるよね、という甘え。

子供の時は、なぜ親が私のことを理解してくれないのかと、よく怒っていた。
逆に、親が自分に対して理由もなく感情をぶつけてくると、大いに戸惑った。

親子だって他人だ。言わないでも理解してくれる他人なんて、現実の世界ではいない。誰かと意気投合して理解しあえるときもある、恋をして相手が全てを理解してくれるような気がすることもある、でも、いつでもなんでも言葉を介せず理解しあえる存在は、いない。私たちはみな別々の個体だ。自分で自分のことをきちんと言語化して表現できないのに、なぜ他人がそれを読み取れると思うのだろう。できればいいなと多くのひとが思うから、テレパシーを取り上げる創作物は多いのだけれど……

大人になれば、自分の感情は自分でどうにか処理できることが期待されている・・・というか、私が想像する「大人」はそういうことが出来る状態にある人間だ。でも、それは簡単なことじゃないらしい。自分の感情を誰か(だいたいは自分より弱い誰か)にぶつけて、それでスッキリしている大人は、たくさんいる。身近なところにも、ニュースになるあんなこんなも。

でも、それは理不尽な甘えだ。

あなたが誰かに感情をぶつけられたら、あなたは反論していい。いや、反論したほうがいい。「怒ってるなら、なぜ怒っているのか説明しないと、わからないよ」って。