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「無常という事」と「アース」→人は液体

世界はどんどん変わっていく。生きるということは変わるということだから、それは望ましいことだと思う。過去を恋しく思うのも、未来に希望を抱くのも、生きていることの証のひとつだ。

「無情という事」で、小林秀雄がこんな言葉を書いていた。

「生きている人間などというものは、どうも仕方のない代物だな。何を考えているのやら、何を言い出すのやら、仕出来(しでか)かすのやら、自分の事にせよ他人事にせよ、解った例(ため)しがあったのか。鑑賞にも観察にも堪えない。其処(そこ)に行くと死んでしまった人間というのは大したものだ。何故、ああはっきりとしっかりとして来るんだろう。まさに人間の形をしているよ。してみると、生きている人間とは、人間になりつつある一種の動物かな」

私は文庫本で5ページしかないこの短編がとても好きで、幾度も読み返している。人間のこの「動物」的状態、常に変化していく状態を、無常と呼ぶのだろう。自分は息絶えて変化しない「人間」になるまでに、なにを見て、なにを聞くのだろうか。なにかを残すのだろうか。

話は変わって、映画「アース」を見た。地球の上の生き物たちの話(のようなもの)だった。
動物はsurviveしなければ食べられてしまう。もしくは餓死してしまう。豊かな日本に住む人間の私は、滅多なことでは餓死しない。普通に死ねば火葬されて、箱に入れて、墓に入れられる。他の生物の栄養にすらならない。

他の何者にも影響を与えないし与えられない、果てしなく孤独な存在、そして確固たる存在が、人間の最終形なのだと思う。生まれたときは柔らかな液体で、周りのものにたやすく影響される。それが少しずつ凝固して、固体になり、自立したものになっていく。その過程・・・液体が固体になっていく過程・・・が、生きるということなのだろう。

モオツァルト・無常という事 (新潮文庫)

モオツァルト・無常という事 (新潮文庫)