思い出話
大学に行ったのは新聞記者になるためだった。特に科学に関係する記事、社会面や生活面の記事を書きたかった。新聞じゃなくても雑誌記者とかそういう方面に行きたいなーと思っていた。新聞社の受験資格は、だいたい四大卒以上だから大学は行かないと。が、大学に行ったものの、入学後に色々あって自分が体力的に強くないと知り・・・具体的にいうと勉強厳しい学校+片道2時間半通学+終電までバイトを2ヶ月やったら1週間ダウンしたり徹夜すると必ず風邪ひいたり・・・で、新聞記者にはなるには厳しそうと悟った(ちょうどそんなことを考えていたときに新聞社で活躍していた親の友人が過労死したという背景もある)。
新聞に興味があるような人間だったのでもちろん出版にも興味があった。でも自分がいち消費者として見聞きしている情報から考えて、出版業界は商売的に危ういと思っていた。特にそのときの自分の視野に入るような一般向け雑誌は絶望的に見えた。ヴィジュアル系をはじめとして音楽好きだったので一般向けの音楽関連雑誌にはよくお世話になったけれど収益率は低いし顧客基盤は脆弱だし主な顧客の若年人口減るしetc., 商売的にこれはお先真っ暗だなーと思っていた(もし中の人が見てたらすみません)。
じゃあ書籍の出版なら?と考えたがあいにく自分は名門大出身だったりコネがあったりする身ではないので大手出版社は厳しい。行くなら中小かなと思って中で働いている方に話を聞く機会を作っていただいていろいろ聞いた。いきなり企画職は難しいので制作から入ることを薦められた(それは自分が本等で調べて至った結論と同じだった)。制作はだいたい下請け会社に出しているのでそういうところから当たることを考える・・・が、あと何年経ったら崩壊が始まるのかなー?と考えている業界で下積み修行をする度胸があるのだろうか自分は。
大学にいたときはここらへんまで考えて「出版業界は避けておこう」という結論に至った。1−2社は上のようなことを考えながら受けたような気もする。
ちなみに出版は商売的にやばいから避けておこうと思った反面、新聞はどうにかなるだろうと思っていた。全体の規模は小さくなるだろうけど、パイの大きさの割にプレイヤーが少ないから。バブルや2000年時点程度の給与水準を維持できるわけはないだろうけど、出版と違って業界内階層構造が少ないから下の方の人間でもそれなりに食べていけるだろうと踏んでいた(アメリカで新聞業界がやばい等々聞くけど、今もこの考えは大筋では変わっていない・特に日本は規模の割にプレイヤーの数が少ないと思う・自分が地方新聞をあまり知らないからそう思うのかも?・あえて言えば日本の大手は本業と無関係な資産が多いのが怖いと思う)。でも冒頭に挙げたような理由で受験しなかった。
そんなこんなで出版社も新聞社もあまり受けずに就職活動に突入し、迷える子羊になりつつも新卒で入ったのは大手電機メーカーのSIer部門。職種名はシステムエンジニア、SEだった。が、入社してすぐに仕事内容が思ったのと違うなーしかも希望部署と違うほうに配属されるなーしかもこれは体力的に厳しそうだなー残業時間自慢とかしたくないなーどうせ体調崩すなら好きなことして倒れたいなー・・・となり、退職を決意。
しかし半年で辞める若者の自分をいったいどこの会社が拾ってくれるというのか。新聞社は年に1−2回しか応募機会がないし、出版社はどこも出版不況で採用人数を絞っている。必死に頭をひねって自分に出来ることを考えた。英語が比較的得意、コンピューターが好き、科学全般を浅く広く知っている、数学が好きだし大学でも専攻した、LaTeXが少し書ける、出版社でバイトしたことがある。・・・よし、数学・科学関連の出版社を受けよう!と思い、自分の本棚にある本や大学図書館で借りた本の出版社をリストアップしてひとつひとつ当たってみた。(大学時代、数学教室で落ちこぼれだったので人並みになろうとせっせと色々な難易度の教科書を買ったり借りたりした。それがここで役に立った、かもしれない。)
・・・で、いろいろ応募した中で縁があって前の会社に就職した。
入ってみて。本の出版は面白いし、印刷物に関わるのは好きだったし、自分が使っていた数学書籍を書くような研究者に接するのはとても楽しかった。もともと面白い人と話すのが好きだったので、変わり者の研究者とコミュニケーションして、彼らの役に立つ何かが出来るということも嬉しかった。会社(上司やそのもっと上の人たち)がちゃんと商売が回るように考えてくれるおかげでちゃんと生活もできた。