ランディ・パウシュ 最後の授業
本を読み、映像を観た。ネット上で話題になっていた、ランディ・パウシュの「最後の授業」。
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2007年9月18日、ペンシルベニア州ピッツバーグ。ハイテクの街として知られるこの地に本拠を置くカーネギーメロン大学の講堂で、1人の教授が「最後の授業」を行った。
教授の名前はランディ・パウシュ。46歳。バーチャルリアリティの第一人者とされ、コンピュータサイエンス界の世界的権威と称される人物だ。最後の講義の1ヶ月前、パウシュは膵臓癌が転移しているとわかり、余命宣告を受けていた。3人の幼い子供をもつ46歳の男に残された時間は、あとわずか。
講義を終えたパウシュを迎えたのは、講堂を埋めつくした400人の聴衆の、割れんばかりの拍手とスタンディングオベーションだった。複数のテレビ番組がこの講義について報じ、2500万人以上がパウシュの姿を目にした。講義の模様はインターネットでも動画配信され、またたく間にのべ600万ものアクセス数を獲得した。その数は、最後の講義が行われた日から半年以上たったいまも増え続けている。
最終講義の映像は、YouTubeやGoogleVideoで無料で見ることもできる*1。でも、本に付属のDVDだと、80分間中断なしで鑑賞できる。画質も綺麗。*2
本には、最終講義の内容を掘り下げた文章が載っている。たとえば後にメンターとなる指導教官アンディとの、会って間もないころのエピソード。
ある日、アンディに散歩に誘われた。彼は僕の肩に腕をまわして言った。
「ランディ、きみがとても傲慢だと思われていることは、実に悲しい。そのせいで、きみが人生で達成できるはずのことが制限されてしまうんだからね」
いま思うと、彼の言い方は完璧だった。実際は「ランディ、きみはイヤなヤツだ」と言っているのと同じだった。でも彼は、僕が批判を受け入れて、憧れの人の言葉に耳を傾けるべきだと思わせるように話してくれた。厳しいことを率直に言う人を、「オランダのおじさん(Dutch uncle)」と呼ぶ。最近はあえて苦言を呈するひとはほとんどいないから、時代遅れの言葉になりつつあるし、通じないときもあるだろう(最高なのは、アンディが実際にオランダ人だということだ!)
このくだりは含蓄があって、とても好き。苦言を呈してくれる人のいる有り難さ、チームプレイをするためには(たとえランディ・パウシュのようなスーパー賢い人であっても)成長する必要があること、ひとり舞台よりもチームプレイのほうが大きなことを実現できるということ、・・・etc.
それから、最終講義では触れなかったことも、書かれている。たとえば第5章「人生をどう生きるか」の中の1つ。
「最初のペンギン」になる
経験とは、求めていたものを手に入れられなかったときに、手に入るものだ。(中略)
「バーチャル世界の創造(BVW)」のクラスでは学生に、むずかしいことに挑戦して失敗を怖れるなと励ました。そして学期が終わるときに、学生のグループひとつにペンギンのぬいぐるみを贈呈した。最大のリスクをおかして新しいアイデアや技術に挑戦したが、当初の目標を達成できなかった「最初のペンギン賞」だ。いわば「名誉ある失敗賞」で、形にとらわれない考え方と、想像力を大胆に使ったことを称える。つまり「最初のペンギン」の受賞者は、あとできっと成功する敗者なのだ。
賞の名前には、捕食者がまちかまえているかもしれない海にペンギンが飛びこむとき、最初に飛びこむペンギンは新しいことに挑戦する勇気がある、という意味をこめている。
ただ「失敗を怖れるな」だけでは説得力がないし、人の心は動かない。自分が関わったエンターテイメント業界の話を引き合いに出して、その上で講義で「名誉ある失敗賞」を授与する先生がいるというのは、生徒にとって強く勇気づけられることだと思う。
夢・好きを貫く・方向性
最近、この「最後の授業」を見たり、梅田さんの昔の文章*3を読み返したりして、自分の好きなことってなんだろう、自分の夢ってなんだろう、ということを改めて考えている。いわゆる、就職活動のときにした「自己分析」ってやつ。一瞬、なんだか同じところをくるくる回っているような気がしてしまうけど、きっと、そうじゃない。
別に今の日常が嫌なわけじゃない。でも、ずっと同じ場所にいたくはない。もっと成長しないとダメなんだと思う。そして成長するためには、太陽に向かって伸びる植物と同じで、人間にも方向性が必要なんだ。方向性。それが一体なにになるっていうの?・・・と、書いたときもあった*4けど、そのときと今は違う。別に私は同じところを回っているわけじゃない。もし「それが一体なにになるっていうの?」と問われたら、今は(一時的な仮説かもしれないけど)前に進むための、船乗りにとっての北極星のようなものだという答えを持っている。
方向性を模索している。人生を平面的な円ではなく、螺旋階段にするために、まっすぐに伸びる螺旋階段にするために。