サイエンスジャーナリズムを改革した男

「Nature」編集部の古参Sir John Maddoxが、この4月に亡くなった。*1
Sir Johnって誰? 天下の「Nature」編集部の人とはいえ、それだけでScience and Technologyトップページを丸々割くとは、The Economistも英国びいき甚だしいだなぁと思ったら、読んでびっくり。自分のいる学術出版という業界の今日は、この人なくして存在し得なかったのではないか。

  • 査読制度(peer review)
  • 論文への投稿受理日記録
  • エンバーゴ制*2

という、まさに学術出版(とりわけSTM分野)の基盤ともいえる制度を発案し、業界に定着させた人物だ。

また、Sir JohnはジャーナルにLeaders記事を入れ始めた人でもある。自分が主にカバーしている理工系ではあまり見られないけど、生物・医薬系ではLeaders記事は結構ある……らしい。

編集者に机を漁られる研究者

良い論文はないかと研究者のところに押しかける。Sir Johnはそんなこともしたという。そして、これはトップレベルジャーナルによる有料論文獲得競争の先駆けだという。
今でも欧米の編集者はかなりアグレッシブらしい。まれに研究者の先生から「研究室の引き出しを勝手に開けられた〜」という話を聞くこともある。「日本の出版社もそれくらいやってほしいもんだ」という人もいるけど、どうなんでしょう?

彼は良い素材(論文)を求めて、研究室にも出入りした。今なおScienceNatureCellといったトップランクのジャーナルで慣例的に行われる、最先端の研究者の論文を巡る競争の先駆けだ。

概要

自分のためにざっくり翻訳。
Sir John Maddox: The nature of Nature | The Economist


Par. 1. Sir John Maddoxがジャーナリストや編者への謝辞を書き出すのは、いつも〆切がとっくに過ぎてからだった。その傍らには必ず、タバコとワインがあった。彼が編集部の一員として仕事を始めたことは有名だ。中にはえらく遅く原稿をあげてくる輩がいて、彼らが最後の1行を書き終わる前に、最初の1行目を組版し始めていることもあった。しかしSir John Maddoxは、ただの〆切前の魔術師(a hack)じゃなかった。4月12日に亡くなった彼の人は、今の科学ジャーナリズムの形を始めに創った人物だった。

Par. 2.偏屈で残念な出版物だったNatureを、彼は地球規模で影響力のある科学ジャーナルに変革させた。その才能は、英国内の新聞にそれまでになかったような形でサイエンスを登場させた。サイエンスを、BBCで放送されるくらいポピュラーなものに仕立て上げた。さらに、おそらくこれが最も重大な事だが、科学合理主義に染められた奇抜な若いライターを教育して、当紙The EconomistのScience & Technologyセクションに送り込んだ。

Par.3. Guardianに10年つとめた後、1966年にSir JohnがNatureにやってきたとき、この英国科学ジャーナルの長老は不振にあえいでいた。オフィスは黄ばんだ原稿で埋め尽くされていた。しかし彼がやってきて、それは速やかに整理された。彼は査読(peer review)制度(外部の専門家に、論文の科学的価値の評価を尋ねるシステム)を導入した。また、各原稿に投稿日の日付をスタンプすることを始めた。彼はNatureを、もっと新聞のようなものにしたがった。科学ニュースをどれだけ早く出版するかで評価されるようなものに、だ。さらに原稿は正確性のためだけではなく、スタイルやレイアウト(comprehensibility)のために編集(!)された。

Par. 4. ニュースらしい記事を入れたいと思い、彼は事実に対する意見を紹介するLeaders記事を書き始めた。 また後にTimesの科学エディターになる、当時新人のNigel Hawkesをライター(reporter)として雇い、原稿編集者のすぐそばに座らせた。HawkesはMaddox学校のはじめの弟子だ。

Think global. Act local
Par. 5. Sir Johnがこのような活動を推し進めた理由として、同誌がアメリカのScienceとの競争により、基盤を失いつつあったという背景がある。1950年代から1960年代にかけて科学の中心はヨーロッパからアメリカに移った。Scienceはこれを追い風にした。それに対応するべく、Sir JohnはNatureを国際化させてアメリカ、日本、さらに世界の各地にオフィスを構えたのだと、Maddoxの別の弟子、後日New Scientistの編集担当になったAlun Andersonは語る。

Par. 6. 国際化するということは、もちろん国際的なニュースが必要になるということだ。しかしSir Johnの存在はこれに等しかった(Sir John was equal to that)。Maddoxの別の弟子Henry Geeは、彼が「アフガニスタン効果」と呼んだ方法を思い出す。「アフガニスタンには何も起こっていない、という内容の小さいニュースを書けば、人々は「なんと、Natureアフガニスタンまで押さえているのか!」と思うでしょう」。

Par. 7. またSir Johnはエンバーゴ制にも梃子入れした。エンバーゴ制とは、ある決まった期間、そのネタに関する記事を控えるという条件付きで新聞屋に情報を流すこと。また新聞が記事を書くときは、ジャーナル名に言及するという条件も付く。衝撃的な論文があるときの彼はエンバーゴについてえらく気が強かったと、これまたMaddoxの弟子である有名科学記者のGribbinは回顧する。Sir JohnはNatureを目立たせようとがんばったが、それによって自分たちの手で特ダネをものにしたい英国新聞界との間で摩擦を生んだ。

Par. 8. 外的圧力や、渉外活動で手を汚すことをものとせず、Sir JohnはNatureを表舞台に押し上げた。また彼は良い素材(論文)を求めて、研究室にも出入りした。今なおScienceNatureCellといったトップランクのジャーナルで慣例的に行われる、最先端研究者の論文を巡る競争の先駆けだ。

Par. 9. Natureの元編集者であるDavid Dicksonは語る。Sir Johnの科学合理主義は多くの論争を生み、その結果Natureを表立たせることになった。エイズ否定論者とその支持者にSunday Times誌面上で議論を叩きつけたのみならず、ホメオパシー(同種療法)や常温核融合について、超心理学者Rupert Sheldraketとの議論も巻き起こした。現Wired編集者で、やはりMaddoxの弟子であるChris Andersonは、彼は「おそれのない」人だったと思い出す。自身の信条を追求する過程で科学原則を見失っていると彼自身が感じた人に対しては、相手がどんな人であっても異議を申し立てた。

Par. 10. Sir Johnは査読制度の発案者であったが、同時にそれが独創的な研究を殺しかねないことも知っていた。彼がFred Hoyleの論文は査読に出さなかったのは、そのためだ。Fred Hoyleは天体宇宙物理学者で、その研究は論議を呼んだ。彼は遺稿(a valedictory essay)にこう書いている。「地球生物の起源が星間バクテリアであるという仮説が、妥当なものであるかどうかについて、判定はいらない」。いかに彼が科学合理主義の権化であろうと、その創造性とニュースへの嗅覚はSir Johnにとって重要な資質であった。

Par. 11. その結果Natureは世界中の科学ニュース・ゴシップの集まる場所となっている。また公共問題に関してどぎついリーダーシップをとっている。しかし1番クレイジーだったSir JohnはもうNatureのオフィスにいない。スタッフは今や、彼を止めるために恐縮することもないのだと、Alum Andersonは言う。

Par. 12. Natureは組織的なプロフェッショナル集団になったが、今でもMaddoxの足跡を見つけることはできる。彼がいなくなって何年か経ってもNatureの新米ライター(reporter)はこうアドバイスされるだろう。初めての論説記事は、夜遅く、ウィスキー片手に書くのが一番だと。Sir Johnは去った。しかし彼の魂(スピリット)は、まだビルの中に残っている。

追記

コメント欄もおもしろい。http://www.economist.com/science/displaystory.cfm?story_id=13525812&mode=comment&intent=readBottom

"Rest in peace, Sir Knight" VS "What utter codswallop." !!!

「Sirよ、安らかに眠れ。」という人もいれば、「たわごと言ってるんじゃねーよ」という人もいる。

Sums up the mischief maker well. But I don't think John would even claim to have been "The man who reinvented science journalism".

It was the science journal that he reinvented. And he did that by bringing journalism to journals. A very different achievement, and one that is probably more significant.

Sir Johnはscience journalismを改革したんじゃなくて、彼は学術雑誌(ジャーナル)にジャーナリズムを持ち込んだのだ。
これは、自分もタイトルを訳していて気付いた。彼の活動領域は一般的なジャーナリズムではなく、あくまでアカデミックな科学の世界で、そこに新しい試みを取り入れたり、一般的なジャーナリズムの手法を取り入れたりしたのでしょう。

I am curious as to the state of peer review at other journals at, and before, that time?

彼が制度として確立するまで、査読はなかったのかしら。確かに気になる。

追記の追記

上の疑問、「彼が制度として確立するまで、査読はなかったのか?」を調べてみた。英語版Wikipediaに査読の歴史について、記述あり。これを信用してみよう。
Peer review - Wikipedia, the free encyclopedia

医学分野では9世紀くらいから、患者のカルテ開示を仲間内で行う慣行があった。また他分野でも、17世紀に英国王室(Royal Society)のジャーナルで査読を行った例もある。しかし、きちんとした形ではあまり行われていなかった。
顕著な例としては、アインシュタインの論文(1905年、特殊相対性理論についての論文)は査読を経ずに発表された。ジャーナルのEditor in Chiefマックスプランクと、co-editorヴィルヘルム・ヴィーンは一応目を通している・・・はずだけど、きちんとしたpeer-reviewは行われなかった。ご存じでした?>id:koichiro516

Peer review has been a touchstone of modern scientific method only since the middle of the 20th century, the only exception being medicine. Before then, its application was lax in other scientific fields. For example, Albert Einstein's revolutionary "Annus Mirabilis" papers in the 1905 issue of Annalen der Physik were not peer-reviewed by anyone other than the journal's editor in chief, Max Planck (the father of quantum theory), and its co-editor, Wilhelm Wien.

Peer review - Wikipedia, the free encyclopedia

*1:タイトルは"The man who reinvented science journalism"の訳。science journalismの訳に困りました。

*2:ただしここでの「エンバーゴ」は、新聞社に対しての情報開示と、エンバーゴ期間(出版差し止め期間)を指す。