時間の結晶

友人に誘われて、コンサートに行ってきた。曲目は、

の3曲。演奏はシュトゥットガルト放送響共楽団、指揮ロジャー・ノリントン、ピアノは小菅優。とても良かった。サントリーホールの柔らかい音響に包まれながら、いろいろなことを考えた。

1つは映画「タイタニック」で、船が沈みながらも音楽を奏でていた弦楽四重奏団のこと。死ぬ直前に「音を奏でたい」と思って、実際にそれができる音楽家って、すごいなあと。自分は「あと1時間で死ぬ」という状況になったら、何をするだろう? 何ができるだろう?

もう1つは、ステージの上で演奏する人たちが「すごい」のは、費やした時間の結晶を披露しているからじゃないかな…ということ。

音楽でも美術でも工芸品でも、「すごい」ものの裏には、それを作り、鑑賞に堪えるものに磨き上げるために費やされた時間がある。オーケストラで演奏するヴァイオリニストを想像すれば、わかりやすいと思う。ヴァイオリンで美しい音を出せるようになるためには、それ相応の時間がかかる。楽器を弾けるようになっても、練習なしで弾ける曲はない。そして誰かと音を合わせるためには、一人一人が練習しただけでは不十分。それぞれが練習してきた上で、皆で合奏する練習をしなければ、てんでばらばらの演奏になってしまう。

これは、芸術だけでなくスポーツにもいえる。オリンピックや野球やサッカーを見て、私たちが「すごい」と思うのは、その裏にトレーニングする時間、肉体を磨き上げる時間の結晶があるから。
さらに言うと、普通の人間では考え至らないような科学法則を見つけた研究者に対して「すごい」と思うのも、彼らが考えに考え抜いて理論を打ち立てたり、実証実験を行ったりしているから、そういった時間の蓄積(かける、99%の努力と1%の才能)があるからだと思う。

芸術やスポーツと科学が決定的に違う点がある。芸術・スポーツが肉体=個人から切り離せないのに対して、科学は発想・知的活動なので、誰かのアイデアをみんなで共有することができる。研究者が亡くなった後も研究内容や科学法則は生き続けることができる。*1

楽器を練習したり、絵を描いたり、ろくろをまわしたり……何かを作り上げる過程をガラス張りにして、見えるようにする行為は面白い。しかし、それを無粋なことだと言う人もいる。考える過程をブログに公開することも、あまり美しくないだろうし、目障りに感じる人もいるだろう。けど、ガラス張りにしておけば、その様子をみて「おもしろい」と思う人や、その発想を高めるのに力を貸してくれる人が出てくる可能性がある。

私が過程をガラス張りにするほうが好きなのは、自分が音楽や美術よりも、科学に多く親しんでいるためかもしれない。ただし、自分がへたっぴな音楽家の発表会に足を運ぶか?と問われたら、答えはNO。ガラス張りにして面白いレベルに達するのは、楽じゃありませんね。

*1:実は肉体から切り離せる芸術もスポーツもありますが。楽譜を残す作曲家がいるし、最近では演奏家の録音をリミックスして新しい音楽をつくる流れもありますね。