PLoSという出版社

2ヶ月ほど前の記事ですが「PLoS’ Squandered Opportunity — Their Problems with the Path of Least Resistance « The Scholarly Kitchen」が示唆深く、面白い記事でした。原文はかなり長文なので、抜粋と自分の覚書レベルの適当翻訳をつけて紹介します。正しく・詳しくは原文をご参照ください。*1

PLoSってなに?

オープンアクセスでの出版をメインに手がける出版社はいくつかありますが、PLoSとBioMed Central(BMC)はとりわけ初期から活発な動きを見せていた会社です。(最近だとSAGEと提携しているHindawi Publishing Corporationも結構知られている・・・かな?)
PLoSはアメリカに、BMCはイギリスに本社があります。アメリカは国自体も政府助成金も巨大ですし、OA義務化法案が出されていたりします。Scholarly Kitchenの執筆者である Society for Scholarly Publishing(SSP)もアメリカベースですから、思い入れも大きいのでありましょう。
ちなみにBMCは2008年に、いわゆる伝統的出版社であるSpringer社に買収されています。

PLoS’ Squandered Opportunity — Their Problems with the Path of Least Resistance « The Scholarly Kitchen からの抜粋

PLoS ONEで出版された研究にちなんで私が考えた話をしよう。ちょっと哀しい話だ。

PLoSは数年前にチャンスを手にしていた。今となってはあだ花に終わってしまったが。PLoSが初めてその他多数の出版社の前に現れたとき、我々は息を飲んだ。ファンドを十分に得て、斬新でエネルギーに溢れたグループが学術出版界に現れた、しかもデジタルの世紀の訪れと時を同じくして!と。PLoSは学術コミュニケーションを新しいものに変貌させる可能性を持っていた。査読や出版を中から外まで変える可能性だ。支持者たちは、彼らが出版モデルを新しく作り出す志(こころざし)に満ちていると語った。

耳あたりの良い謳い文句、せっかちなリーダーシップ、そしてある種の横柄さは、優れたアイデアを見えなくしてしまう。PLoSの発端には、それら全てが兆候として表れていた。伝統的出版社は緊張した面持ちで注視していた。

あっという間に、PLoSはダメになった。まずは伝統的ジャーナルを出版している古い学校に行き、それから伝統的出版社と同じようにマーケティングやインパクトファクター、著者とのコネクション作り、決算収益などに関心を払い始めた。PLoSはみるみるうちに他と同じトラップにはまった。良い論文を集めるために一時的なモノに過ぎないインパクトファクターを手に入れて、ジャーナル創刊時には無料コピーを配りまくった。そしてあまたの伝統的出版社と同じに、めざましい点が見当たらなくなった。

数年たって、PLoSはただの出版社になった。

その間もずっと、PLoSはオープンアクセスに投資を続けてきた。しかし一方で助成金の先細りに起因する決算収益への懸念があり、それはより確実な著者支払い型モデルを拠り所とするビジネスモデルを作り出した。

著者支払い型モデルで収入を最大化する一番簡単な方法は、出来る限り多くの論文を出版することだ。そして2006年終わりにスタートしたPLoS ONEは、バルク出版(著者支払い型出版)のおかげで、彼らの経済的な助け舟になった。

PLoS ONEとバルク出版による収入は同社にとって不可欠なものとなり、今ではPLoSはロークオリティで無闇に出版する出版社・・・初めに期待された姿からはかけ離れた状態・・・に見られる寸前だ。


科学出版は他の出版業界と異なり、査読や編集委員など様々なクオリティコントロールや情報非開示制、不必要なノイズを排する指向によって、独自の地位を築いている。

私はアンチPLoSでもアンチオープンアクセスでもない。PLoSがファンド支払い型から著者支払い型オープンアクセスに移行したように、他の出版社も著者支払い型のバルク出版を喜んで行っている。しかし著者支払い型オープンアクセスの場合、そのジャーナルは高いクオリティを持つ=低ボリュームであるようにするべきだ。お分かりの通り、私はアンチノイズで意味のある信号だけを好み、アンチもみがらで実の部分だけを好み、アンチ汚染で効率的なフィルタリングを好む人間だ。

科学におけるノイズ・もみがら・汚染は、学術出版社によって川上でコントロールされるべきである。そのうえでジャーナルはその存在意義を発揮する。しかしPLoS ONEや小さな出版社が手掛けるバルク出版は、(クオリティの低い)原稿を無理やり掲載論文に仕立て上げ、ジャーナルを根本から無価値なものにしてしまう。

もし高いハードルをクリアしない論文がジャーナルに載ってしまうというのなら、ジャーナルの存在そのものに危機をもたらすだろう。ジャーナルは、そこに研究リポートがあることを指し示すだけのものになってしまう(クオリティを担保しなくなってしまう)。ジャーナル出版のスタンダードを作り出す出版社は、このリスクに気がつかねばならない。

アカデミック界の"publish or perish"(論文を出版しないと生きていけないよ的な状態)プレッシャーは、ポジティブな結果をもたらすだろうか? ポジティブな結果は、科学に対する興味や研究者の独自性からもたらされるのではないか。ポジティブな結果は、仮定に傷を付けたり闇雲に実験をするのではなく、面白いことや意義のあることを書いて記録に残すことから生まれるのではないか。ポジティブな結果は、人々が頼りにすることのできる良い科学を反映したものではないのか。(「ポジティブな結果」とは、アカデミック界での成功を指していると思われる。ex: テニュア)


さらに困ったことに"publish or perish"プレッシャーは、出版ビジネスが学術界と著者を食い物にする要因になる。

先述のPLoS ONE掲載論文、ゆるゆるのこじつけ仮定を押し通して出版したものだが、それ自体が(食い物にされている)良い見本になっている。またジャーナル出版の生態系が汚染にさらされやすいことの良い証拠にもなっている。汚染は"publish or perish"プレッシャー、著者の利己的な行動、大量出版、もっと厳格で読者に配慮したジャーナルと出版社がもつ慣習への新参者のとまどいなどから作り出されている。

伝統的な読者支払い型ジャーナルは、読者からの信頼を元に収益をあげている。ジャーナルが信頼を失えば、購読数が減り、著者は良い論文を投稿しなくなり、悪循環に入ってしまう。読者支払い型ジャーナルの出版社とエディターはいつも、そうなってしまうことを恐れている。そのたね彼らの行動選択には歯止めがかかる。

著者支払い型ジャーナルは著者が出版するときに収入を得る。よって、PLoS ONEのようなジャーナルは出来るだけ多くの論文を出版して、決算収益を良くしようとする。このエントリの執筆時点で、PLoS ONEは先週122本の論文を出版した。論文1本あたりの出版費が1,350ドルだから、先週1週間で165,000ドル、1年換算で8,500万ドルの計算になる。ただしこのうちのいくらかを相殺する、機関支払い分(研究機関とPLoS社の契約により、その機関で働く研究者の出版費が免除されるシステム分の支払い)は考慮していない。

これは一目で分かるように結構な金額だ。PLoS ONEは年間5,400本の論文を出版することでこの金額を得ている。Wikipediaによると、PLoS ONE全投稿数の70%を出版しているという。これはフィルターとしては緩い。

著者支払い型モデルとジャーナルのクオリティは、ビジネスモデルの観点で矛盾をきたしているように思われる。著者支払い型出版の関心は読者や研究結果ではなく、処理・出版できる論文の数にある。


初期の時点では、PLoSは群れから自由になる可能性を持っていた。そうではなく、彼らは群れに加わった。この時点で十分にやっちまった感があった。今では、PLoS ONEのビジネスモデルによって、群れ全体の安全性やクオリティに疑問を抱かせる元凶になっている。群れにはPLoSだけではなく、健全にやっている他ジャーナルも含まれている。

信頼性はPLoSとPLoS ONEだけの問題ではない。

PLoSそして学術ジャーナル界全体において、著者支払い型×ハイ・ボリュームの出版は避けるべきことではないだろうか?

関連資料

このエントリから2ヶ月経って、PLoS ONEにインパクトファクターがついてPLoS ONE: Is a High Impact Factor a Blessing or a Curse? « The Scholarly Kitchenというエントリがさらに発表されました。IFに関するエントリは、min2fly氏が日本語訳+独自視点コメント PLoS ONE初のインパクトファクターは4.351:「これは福音か、それとも呪いか?」 - かたつむりは電子図書館の夢をみるかをアップしてくれています。こういうテーマに興味があるひとは必見です。

感想

査読というフィルターを基盤とした信頼性、ボリュームの多寡、publish or perishプレッシャー、の3つがキーワードでしょうか。

いずれにせよ、変革は長い時間をかけて少しずつ進んでいくのでしょうと再認識しました。そして変革は1社だけでは起こせるものではなく、プレイヤー全体を巻き込んで進んでいくのでしょう。

またオープンアクセスの動き(というかアカデミック界の動き全体)はだいたいが欧米中心ですが、それだけじゃもう世界全体は動かないよね、アジア発の何かがあってこその世界全体の動きでしょう、と思いました。

追記

id:min2-fly氏が誤りを指摘してくださったので訂正しました。
本エントリはPhilによるScholarly Kitchen内の同日エントリに乗っかって書かれたものです。お詫びして訂正いたします。2本まとめて読みたい方はこちらから。 2010 April 27 « The Scholarly Kitchen
このエントリを書いたのはKent Anderson氏ですが、「PhilによるPLoS ONEの研究は、ゆるゆるのこじつけ仮定を押し通したものだ」と痛烈に批判している論文の著者Phil Davis氏も、Scholarly Kitchen執筆者のひとりなんです。仲間内だからってなあなあで流さず、議論をきちんと戦わせる姿勢は見習いたい。批判されたり気に入らないからといって、相手を無視したりその人の存在自体を攻撃しない。私はひねくれ者なので欧米賛美主義者ではありませんが、議論を尽くすという文化・土壌は大いに学ぶべきところがあると思っています。

*1:私が誤解しているところがあればご指摘いただければ幸いです。