本と本屋さんのはなし

本屋さんのPOP

ABC青山ブックセンターの再生 (新風舎文庫)

ABC青山ブックセンターの再生 (新風舎文庫)

この本を読んでいて、書店のPOPはインターネットのレビューに似ていると思った。以下、文庫棚担当の学芸員(店員)さんについての記述。


Mの文庫屋台づくりの第二原則は「平積み台で会話を」である。
(中略)
平積み台での会話はPOPである。そのPOPは、並のものでは役に立たない。本の中身に共感し、作家の想いを伝えるもの。そして読者の網膜にネバリつくものである。


確かによく書けているPOPは、本を読む前からこちらの気分を盛り上げてくれる。少しだけ気になったけれど忘れていた本に良質なPOPがついていて背中を押されたり、ちょっとした小話が書いてあるPOPを見て著者に対する親近感を抱いたり。書店で見掛ける気にならなかった本でも、POPが面白いと思わず手に取ってしまうこともある。


インターネットの書評も(だいたいのものは役に立たないけれど)、よく出来たものは、読み手の記憶に絡み付いて離れない。本を買う前から、その本のことが気になって仕方なくなることもある。タイトルだけでは惹かれなかった本も、優れたレビュアーの手にかかると、とても美味しそうに見える。

本のカバー

ずいぶん前(id:kany1120:20070311:1173587820)に言及した本のカバーについて、comcさんの日記(id:comc:20070325:1174753357)にて、岩波新書にはカバーがなかったことを知った。
それを「和書も洋書みたいにカバーがないのがあっても良いですよね」という話ついでに上司に言ってみたところ、昔の岩波新書は「永久保存版的なものしか出版しない」という自負があったため、本屋からの返品を受け付けなかったそうだ。そのため、本(の本体)が汚れることを気にせずに、カバーなしで出版していたらしい。最近は岩波新書も返品を受け付けるようになったため、カバーをつけるようになったそうな。返品OK→本の移動回数が増える→本が汚れる可能性が増えるという理論。


日本人は汚れている本を嫌うので(ex. 平積みになっている本の一番上は売れない法則)、本屋から出版社に返品された本はすべてカバーを取り替えて、キレイな状態にして出荷し直す。カバーなしで本体が汚れてしまうと、こういう技が使えなくなってしまうので、和書はみなカバーつきである次第とのこと。


・・・と、理論はわかったものの、やはりカバーが要らない本は結構ある気がする。私は、1つ前の日記で書いた本は全てカバーを外して読んでいる。特にテキスト系の本は、カバーなしのほうが良いんじゃないかな。たいして普通の書店にはいかないんだし、流行り廃りも少ないのだし。もう少し調査・分析してみよう。